あとがき


はしがきで述べたように、歴史教科書とは、日本の未来を担う子供たちが、日本とはこれまでどのような歴史を歩んできた国なのかを学ぶために読むものである。その歴史教科書が、本書で紹介したような有様なのである。あたかも、日本をより悪辣めるよう各社が競っているかのような様相さえ呈している。読めば読むほど、日本という祖国に対する愛情を喪失し、日本人であることに自己嫌悪を感じてしまうような内容なのである。

しかも、史実とは相反するデタラメも随所に散在している杜撰さである。「教科書に書かれていることは絶対に正しい」という一般的な認識は、歴史教科書については当てはまらないのである。

もとより、歴史という科目については、たとえば「新たな遺跡が発掘されたことで、それまでの古代史の常識がくつがえされた。教科書の記述はまったくの誤りであった」ということもあろう。そのような記述の誤謬はやむを得ないものである。しかし、本書で紹介した誤謬は、そのような類のものではなく、少し調べれば明らかに誤りであることがすぐに分かる程度のものである。となれば、そのような記述は、教科書執筆者が日本を貶めるためにあえてウソを並べ立てたものということになろう。でなければ、たとえば「日本の朝鮮統治って、大体こんな感じだったんじゃないの?」といったいいかげんな気持ちで、歴史的事象についてろくに調べもせず、適当に教科書を執筆したのであろうか。いずれにせよ、そのような教科書は、授業で使用するに値しない粗悪品といわざるを得まい。

なぜそのような教科書が作られるのか?
その原因の一つが「近隣諸国条項」にあることは第十二章で指摘した。いわゆる近隣諸国条項があるために、教科書検定制度が機能不全に陥り、明らかに史実に反する記述までも検定で指摘されることなく垂れ流しになってしまっているのである。

しかし、それはあくまでも原因の一つであって、根本的な原因ではない。
では根本的な原因とは何か?

結論からいえば、共産主義や社会主義など左翼思想を持った教科書執筆者が日本を貶めた歴史教科書を執筆し、さらに、よりよく(?)日本を貶めた教科書が学校教育で使用されるよう、日本教職員組合(日教組)をはじめとする左翼団体が教科書採択に不当に関与していることが、そもそもの原因なのである。

このことは、たとえばロシア革命に関する記述を見ても分かる。

工業化がすすんだ19世紀後半以降のヨーロッパでは、社会主義にもとづいて、理想の世界をつくろうとする運動がさかんになった。それは、第一次世界大戦をきっかけにロシアで実現した。……
レーニンを指導者とするソビエト政府は、地主の土地を取り上げて農民に分け与えたり、工業・銀行・鉱山などを資本家から没収して、国有化する政策をすすめ、社会主義社会を建設した。……
労働者・農民だけの国の理想をかかげた革命の成功は、植民地として強国の支配下にあった民族にも解放への大きな希望をもたらした。
(清水書院 一八〇頁〜一八一頁)

ロシアでは、長びく戦争で国民の生活が苦しくなり、皇帝と政府への不満が大きくなった。……レーニンに指導されたボルシェビキは、「すべての権力をソビエトへ」というスローガンをかかげて国民の支持をえた。……
ソビエト政府は、地主の土地を農民に分けあたえ、資本家の工場や銀行を国有にした。こうして、世界最初の社会主義国の建設がはじまった。……
ロシア革命の成功は、平和と民族独立を求める人々に勇気をあたえた。
(日本書籍新社 一八二頁〜一八三頁)

社会主義の明るい未来を予感させるような記述である。ソ連が崩壊して十五年以上を経た今もなお、教科書ではこのようなロシア革命礼賛が行われているのである。

国会では社民党や共産党は青息吐息であり、もはや左翼思想は過去のものとなったかのような印象を受けるが、教育現場では今なお隠然たる影響力を持っているのである。

では、なぜ左翼勢力が日本の歴史を貶めようとするのか?
次のマルクスの言葉が、その理由を端的に述べている。

青年に対し、祖国の前途に対する希望の灯を奪い、祖国呪詛の精神を扶植することが革命の近道である。

祖国に対する絶望と憎悪の念を青年の心に植え付けることが共産革命への近道だというのである。この精神に則って、祖国を貶めた歴史教科書が作られ、教育現場で用いられて、子供たちに「祖国呪詛の精神を扶植」するよう仕向けられているのである。

今でも革命を目指しているのかどうか、その本心は分からないが、少なくとも祖国を貶めようとする意欲は健在のようである。扶桑社の歴史教科書の執筆にも携わる藤岡信勝拓殖大学教授は、こう指摘する。

一九八九年、ベルリンの壁が崩壊し、一九九一年には、ソ連邦が解体した。七十年余の社会主義の実験は、経済的に国民を食わせることもできず、政治的自由も与えないどころかぼう大な数の政治的犠牲者を出した末に、無惨にも失敗した。こうした事態に直面して、日本国内の左翼勢力は、未来の社会主義・共産主義の理想を語れなくなったぶんだけ、過去の日本の歴史のなかから日本の罪悪を見つけ出し、糾弾することに力を入れるようになった。
(藤岡信勝『教科書採択の真相』九十六頁)

要するに、革命≠ニいう存在目的を失った左翼勢力が、革命の手段であった反日活動そのものにみずからの存在目的を見出し、その活動の一環として、祖国を貶めた歴史教科書の製作・普及に努めているのである。いうなれば、往生際の悪い左翼勢力が、みずからの生き残りのために日本の歴史を喰いものにしているといってよかろう。

しかも、中学生の歴史教科書の購入には国民の税金が充てられている。つまり、現在の日本国民の税金で、日本の過去を貶めた歴史教科書が購入され、日本の未来を担う子供たちに反日思想が植え付けられているのである。日本の現在・過去・未来が左翼勢力によって愚弄冒涜されていると言っても過言ではない。ムダな公共事業以上に悪質な税金のムダ使いである。

そうした状況を危惧して作られたのが、扶桑社の教科書である。この教科書の記述にはおおむね日本に対する愛情が感じられ、安心して子供たちに日本の歴史を教えられる。平成十三年、同教科書の最初の教科書採択では、左翼勢力の妨害もあってほとんど採択されることはなかったが、平成十七年の教科書採択では、やはり妨害を受けたものの、わずかながらこの教科書を採択する学校が増えた。次回の教科書採択では、さらに多くこの教科書が採択されることを願いたい。本書では、扶桑社の教科書といえどもその記述の不当箇所を指摘したが、唯一期待できる教科書であるがゆえに、よりよいものにしていただくため、あえて苦言を呈したものと御理解いただきたい。

ついでながら、教科書を少しでも改善するための簡単な方法を一つ提案したい。
たとえば、扶桑社(一九七頁)に次のような記述がある。

満州国は、五族協和、王道楽土建設のスローガンのもと、日本の重工業の進出などにより経済成長をとげ、中国人などの著しい人口の流入があった。しかし実際には、満州国の実権は関東軍がにぎっており、抗日運動もおこった。

これを、こう改めたらどうだろうか。

満州国の実権は関東軍がにぎっており、抗日運動もおこった。しかし満州国は、五族協和、王道楽土建設のスローガンのもと、日本の重工業の進出などにより経済成長をとげ、中国人などの著しい人口の流入があった。

用いている文章は同じであるにもかかわらず、前者では暗い印象を受け、後者では明るい印象を受けないだろうか。

現在の教科書には、前者のように、いったん評価しておきながら「しかし」でひっくり返し、結局は日本を非難する、といった記述が多く見られるが、これを、影の部分はあったが「しかし」光の部分もあった、とするだけで、こうも違うのである。姑息な方法ではあるが、せめて扶桑社にはこうした点にも配慮していただきたいものである。

最後に、扶桑社の記述を借りて、エルトゥールル号遭難事故とその後日談を紹介したい。

日本が明治維新の諸改革を行っていころ、オスマン・トルコ帝国でも、近代化改革や欧米列強への対等なあつかいを求めて努力をしていた。
皇帝アブドル・ハミド二世は視察のため、日本に特派使節を派遣した。一行はトルコ軍艦エルトゥールル号で一八九〇(明治二三)年六月五日来日、九月一五日に帰途についた。
しかし、一行は台風に遭遇し、和歌山県串本・大島の樫野崎沖で遭難した。六五〇名の乗組員のうち五八七名が死亡、生存者六九名という大惨事となった。
エルトゥールル号の遭難現場は惨憺たる状況だった。第一発見者の灯台守はいう。
「九月一六日の真夜中、服はぼろぼろで裸同然、全身傷だらけの男がやって来た。海で遭難した外国人であることはすぐにわかった。『万国信号書』を見せると、彼がトルコ軍艦に乗っていたトルコ人であること、また多くの乗組員が海に投げ出されたことがわかった。救助に向かった村の男たちが岩場の海岸におりると、おびただしい船の破片と遺体があった。男たちは裸になって、息がある人たちをだきおこし、冷えきった体を暖めた」
助けられた人々は村の寺や小学校に収容され、手厚い介護を受けた。村では非常用の鶏など、村にあるすべてのものを提供した。
こうして六九名の命は救われたのである。
(扶桑社 一三頁)

1985(昭和60)年3月、イランとイラクが戦争をしていたときのことである。イラクのフセイン大統領は、48時間の猶予ののち、イラン上空を飛ぶすべての航空機を無差別に攻撃するとの指令を出した。さっそく世界各国から、自国の国民を助けるために救援機が出されたが、日本政府の対応は遅れ、日本企業で働く日本人とその家族がイランに取り残されてしまった。彼等はイランのテヘラン空港で、帰国のすべもなくパニック状態になっていた。
タイムリミットを目前にして、2機の飛行機が空港におり立った。トルコから日本人救出のために送られた救援機だった。トルコ機は日本人215名を乗せて、イラン上空を脱出しトルコに向った。なぜ、トルコは日本人を救ってくれたのか。元駐日トルコ大使はこう説明した。
「私たちは、日本人がエルトゥールル号の遭難事故のさいに示してくれた、献身的な救助活動を忘れていません。教科書にもその話はのっていて、トルコ人ならだれでも知っています。だから、困っている日本人を助けるのは、わたしたちにとって当然のことなのです。」
(扶桑社 一四頁)

教科書で紹介された友好の物語が、新たなる友好の物語を生みだしたのである。
こうしたエピソードを踏まえて、教科書とはどのようなものであるべきか、教科書執筆者にはよく考えていただき、より質の高い教科書を、未来を担う子どもたちに提供していただくよう願いたい。

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