今は亡き帝國海軍に寄せて
(平成22年)

安野 憲治

『桜に錨』何と誇らしくも清々しい響きをもった言葉でしょうか。…明治の建軍以来、その制度、造艦技術、兵術、軍装に至るまで、その多くを英国海軍を範として、営々として築き上げて来た帝國海軍は我が国近代化において、忘れてはならない存在であり、日本人の誇りであった。日露戦争後は世界の三大海軍として、また大東亜戦争開戦時の帝國海軍は戦力及び将兵の技術において、恐らく米国を凌駕していたものと思われる。

しかしながら、万事において英国的合理主義に基づいた技術者集団でもあった帝國海軍と言えども、その根幹を成す精神性を形成していたものは、我が国古来よりの武士道に外ならぬものと思われる。その行き着く果てが「特攻」であった。従って、現今のイスラム過激派による自爆テロとは全く似て非なる次元のものであった。

顧みるに、十八世紀後半よりの先進列強国による帝国主義の歴史において、かの大東亜戦争は、避け得る事の出来なかった我が国近代史の「必然の帰結」であり、「自存自衛の結果」であり、断じて侵略戦争ではなかった。日本の数十倍もの工業力・経済力を有する超大国米国を相手に、三年八ヵ月にも及ぶ長きにわたり、帝國海軍は国家の誇りの為によく戦い抜いた。艦隊で、航空隊で、陸戦隊で、人類史上最大の海空戦を演じた。『櫻に錨』の誇りを胸に散華して逝った人々の事を我々は忘れてはならない。彼等は決して侵略者ではなかった。そして自らの死後は靖国神社にまつられる事を信じて、自己の戦闘配置を全うして潔く散華した。今日、彼らに思いを巡らす人びとは皆無に等しい。これでよいのであろうか。否、彼らの汚名を晴らさねばならない。今こそ我々日本人は彼らの血を継ぐ者として、サムライの子孫としての誇りを取り戻さねばならない。民族としての誇りを失った国がやがて滅び去る事は、過去の歴史の事実。

帝國海軍が滅び去って既に六五年。しかしながら、その海軍は今も色あせる事なく、少なくとも私自身の生涯を終える日まで、私の心の中に生き続けて行く。『桜に錨』と言う一言に、万感の想いを抱かざるを得ない。

HOME