歴史を捏造してはならぬ
(平成17年)

石川県電気工事協同組合

上村彌壽男

話は旧聞に属するが、平成13年、日韓合作で映画『ホタル』が上映された。勿論、内容は反戦映画であると同時に半島(南北両朝鮮)人に対して差別したとある。
ならば、私は歴史の生き証人として、自らが経験した例を示そうではないか。

開戦2年半、昭和19(1944)年、戦局はいよいよ熾烈を極め、学徒動員に引き続き在学中の中等学校即ち旧制中学校、実業学校(何れも5年制)生徒に対して陸海軍の学校部隊への志願要請が各校配属将校を通じて行われた。
当時、純真な紅顔の少年達は憂国の至上止み難く、特に4・5年制の半数以上がこれら志願者として応募した。私たち工業学校生徒もいち早く学業(と言っても毎日が殆ど兵器生産の勤労動員に明け暮れる日々であった)を捨てて陸海軍に志願したのである。

私の級友に親しく同方向から通学していた、山本寿という少年がいた。朝鮮名は、呉万磧。柔道2段、相撲部選手。勉強は常に上位5番以内を保持していた。
その彼も国家存亡の時、君等が征くなら俺もと陸軍航空への道を選び願書を出そうとした。ところが当時の学校配属将校と学校当局は頑として願書の提出を拒んだのである。
彼は拒否の理由を詰問するに「私に朝鮮民族の血が流れているが故か、それとも、不平分子を募って暴動でも起こすというのか」と問い質したのである。だが後から聞いた話(私は既に海軍に入隊していた)に依ると、学校当局は、沢野金沢市長と協議した結果を彼に伝えた。それに依ると、「戦局は愈々我々に不利となり日本本土も危うい。万一朝鮮半島しか残らない場合も想定される。その時のため、優秀な山本は何としても残しておかなければならぬ、それが国と金沢市長の方針である」と漸く彼を説得させたそうである。
当時、思いもつかない、そして誰も知らないような優遇措置ではなかったか。
戦後、彼は帰還船の第四次梯団長として「北朝鮮」を選び帰って行った。だが、彼は一時政府のエネルギー関係の省庁上級まで昇進したが、聞くところに依ると、モスクワ留学派の中傷に遭い失脚。死亡年月、死亡の場所すら不明として消息を絶った。今、北との関係の中で、彼の国の中枢に呉君のような日本の理解者がもし居たならと残念でならない。

最近は我が国の一部マスコミは、人権派、反戦派の加担に意を強くして、戦時全く聞いたこともない「従軍慰安婦」なる者への賠償や、隣県下工場の拉致徴用工の強制労働と次第に増長し、止まるところをしらぬ有様である。徴用工等の例は私の近辺にも多くあった。伝統工芸の絵筆を無念にも捨てて軍需工場へ徴用され旋盤で砲弾を削っていた。何も下工場だけがどうこうしたのではない。
内地人も朝鮮人も日本国民として当然のことを為しただけのことである。

さて話を元の映画『ホタル』に戻すと反戦派の作り話に満ち満ちており、学徒志願の実例からも、まさに逆差別とも思われる位あの民族が優遇されていたと言わざるを得ない証がある。「一犬虚吠、万犬実伝」とは良く言ったもの。単細胞の日本人はいつの間にか真実の歴史を誤信することになる。
再び私は絶叫する。「濫りに歴史を捏造するな」と。
大東亜戦争の正しい歴史の経験者は次第次第に減りつつある。だが「靖國をはじめ多くの神々は何処かで必ずみそなわす」のである。

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