『日本の言い分』に生涯を賭けた中村粲先生
(平成22年)

日本陸軍史研究家

奈良 保男

昨年10月18日に行われた「大東亜聖戦大碑建立10周年記念大祭」に、中村先生は参列されている。
大碑建立時から運動に参画され、毎年必ず出席されていた先生にとって最後のものとなった。今思えば、病魔は既に先生のお身体を蝕んでいたに違いない。

6月24日夕刻、先生の訃報を御長男からの電話でお聴きした時の衝撃は、到底言葉にあらわせるものではなかった。さほど長くはなかった闘病中に、先生が会長を務めておられたある会の役員をしていた小生は今更ながら、先生の死を早めた責任を感じている。そのこともあって、先生の氏は小生にとって人一倍辛いものとなった。
しかし、昨秋大碑建立10年の大祭に出席されたことは、せめてもの慰めであったと思う事を、憚りながらお許し願っておく。

先生の訃報が伝わるや、心ある言論界の出版物は一斉に先生の偉大な業績を讃え、その死を惜しんだ。
「國民新聞」は二面全部を使って追悼特集を、「週刊新潮」は『墓碑銘』欄で、続いて雑誌「WiLL」、「正論」も大きく追悼関連記事を掲載した。NHKや朝日などの反日マスコミが一切報道しなかったところに、中村先生の存在の大きさが却って際立って見える。

現在日本では、戦後初めての「左翼政権」が「日本解体政策」を進めており、前記反日マスコミ達は恥ずかしげもなくこれを見過ごしている。元寇依頼の、まさに「国難」がわが国を襲っていることに、一向に気づこうともしない政治家共と、それを支える失礼ながら「衆愚」の群れが日本に満ちている。

今我々は、3年前の名越二荒之助先生に続いて、この「国難」に立ち向かう為のリーダーを失った。痛恨の思いは高まるのみだが、泉下のお二人は、今頃、日本の寒々しい現況をどのように語り合っておられるだろうか。勿論お二人とも大東亜聖戦大碑10周年や、副碑建立のことも語り合っておられるだろうが。

「為 奈良保男様 平成六年師走九日  中村 粲」
と、先生の筆で表紙の次頁に書かれている大著「大東亜戦争への道」を、先日から久しぶりに読み始めている。産経新聞7月1日の談話室欄に、「偏向報道と戦った中村先生」を投書した26歳の若者の目から鱗を落としたこの名著は、まさに「日本の言い分」を堂々と主張続けられた中村先生の「遺言」と言ってよく、正しい「日本の言い分」を、未だに入手できるまま遺して下さった先生に感謝しながら、暫く「大東亜戦争への道」を心行くまで味わう心算でいる。
先生本当に有難うございました。ゆっくりお休み下さい。





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