先の大戦に想う
(平成17年)

中山 貴之

今年は「戦後60年目」という言をよく見聞きする。ここでの戦後とは勿論、昭和20年に終結した先の大戦の事を指すのであるが、その呼称は人により異なる。少なからず「大東亜戦争」と呼称する日本人は今日少数派となっている。自分自身、その呼称はもうすぐ米寿を迎える祖母から聞いていた。決して歴史の教科書から教わったものではない。
この戦争は、昭和12年7月7日に起こった盧溝橋事件に始まり、昭和20年8月15日に終結するまでの戦争と認識されているが、そこに至るはるか100年前、清国でのアヘン戦争が示すとおり、その時から英国をはじめとする西洋列強のアジア植民地支配の流れというものが興っていた。
60年前当時、その勢力に対抗し得るアジアの独立国家は日本のみであり、日本がその渦中に立たされていたという時代環境に身を置いて初めて、日本人が戦った先の大戦の意義というものが理解されるべきである。
単に戦争行為が善か悪かで判断すれば、悪であり、最終的愚策であることに間違いはない。昨今「憲法九条を守る」ための署名活動や講演会が隆盛である。私自身は人類の理想としての第九条の存在意義に大いに賛同するものであるが、実際その動きの中に身を置いてみて感じることは、盲信甚だしく、只々正義を振りかざしている傾向が強く感じられる。中にはベトナム帰還兵を呼んで、戦争の悲惨さを語らせ、或いはナチスドイツを引き合いに出し、あたかも日本が行った戦争も同一であるかのように刷り込み、かつての日本軍や当時のイデオロギーを踏み絵や免罪符にしているように映る。
時代によって、正義や倫理観も変われば民族によって宗教も様々である。たとえ同じ人種でも、世代間で価値観は異なる。どんな道理を用いても、世界を思いのままにまとめあげることなど不可能であろう。ゆえに世界はカネと力によって勢力図が描かれ、そしてまた同様の手段を用いて報復が繰り返される。
過去の歴史において、不幸にも自らの国が他とぶつかり、血を流す時代に産まれ落ち、命を捨てなければならなかった若者達。到底受け入れ難い、屈辱的要求を突き付けられ、国家の行先を決めなければならなかったかつての指導者。当時の時代環境を知らずして我々の先人を貶めるべきではない。
人はその中に、地獄・餓鬼・畜生という悪道の心もあれば、菩薩心も同時に持ち合わせている。いわば二律背反が、我々人間の世界なのである。環境によって人間はどちらでも成り得るのだということを見せてくれた戦争は何よりの鏡である。
一方、史実を捏造してまでも悪を作り出し正義に名を借りた剣を振りかざす。60年前インドのパール判事が見抜いていた大国の茶番劇が今なお同じ手法を用いてイラクなどで公然と行われていることにその正体を見る思いである。
責むるべきはいつまでも日本人や近隣諸国の人々に根深く蔓延った思想工作である。そこから目覚めるためには、我々日本人が自国の歴史の影の部分を受け入れてきたと同様に、光の部分に対しても偏見を解除し、素直な気持ちで向き直すことだと思う。
台湾に命がけでダム建設をした八田輿一。多くのユダヤ人難民を救った杉原千畝。インドネシア独立のため、敗戦後も戦地に残り戦った日本人兵士たち、その他多くの立派な日本人がいたことを、次世代にもっと伝えていきたい。
また同時に、遠く故郷を離れ、名も知らず草むし水漬く屍となられた方々。戦勝国による不当な審判を甘んじて受け、刑死された方々。そんな多くの先人に対しても敬意を払い、英霊に感謝することの大切さを教えていかねばならない。




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