中村粲先生の御逝去によせて
(平成22年)

日本をまもる会会長、大東亜青年塾塾長

中田 清康

嗚呼!
さきに盟友 名越二荒之助先生、又々これを追うかの如く 中村粲先生が逝かれた。
祖国の乱れ果てた現状を憂えられつつ、天界へ旅立たれた。
御両兄共、陰に陽に大東亜聖戦大碑建立に尽された御功績は大きい。
御著者からの、不思議な御縁であった。

平成6年末頃から翌7年にかけての、終戦五十年に於ける近隣諸国への謝罪反省決議をめざす亡国歴史無知 村山首相と、それをさせる動きを許せぬ私は、7年初頭1月30日英霊に感謝、亡国謝罪絶対反対の憂国講演会を金沢市文化ホールで開き、名越、中村両先生をお招きした。
翌2月、中村先生が同目的のデモ大行進をなされ、これに私も参加した。
この盛大な四千人以上参加の大行進を取材も放映もせぬ、NHKの偏向を怒られ、翌月NHK抗議デモを、再びなされたので私はこれにも参加した。

ここでこのデモ行進に参加して居られた草地貞吾先生との奇しき御縁が生まれたのであった。
これまで私が一人喘いでいた大東亜聖戦大碑建立のためにお天がお授け下された有難き御縁が生まれた、中村先生のNHKへの抗議デモ行進であった。私は終戦に近い時、関東軍にあり、高級参謀大佐として作戦班長であられた草地先生とは、一幹部候補生に過ぎぬ私とは正に月とスッポンの如きものであったが、この行進に参加したからこそ私に大東亜聖戦大碑建立実現への道を授けられた、有難き天の思召しであったと信じ感謝して居る。中村先生の実施されたNHKへの抗議デモ行進ありてこその、大東亜聖戦大碑の実現であった。
先生に衷心より感謝の誠を捧げ御冥福をお祈り申し上げる。

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