目覚めよ!日本
これでは北方領土は永遠に還らない

(平成14年)

日本をまもる会会長、大東亜青年塾塾長
中田 清康


はじめに

鈴木宗男のムネオハウスや北方支援事業なるものが人口に膾炙され、これが如何に領土返還に結びつくのか分からず今さらであるがソ連抑留から帰国以来50年余北方領土問題に執念を燃やし続けた私はバカバカしさに空いた口がふさがらぬ思ひである。それは中共に対するODAも、北鮮に対するコメ支援も同様であるが、ここでは北方領土について述べたい。

「エトロプ」島と「ウルップ」島の間が日露国境であることは147年前の安政三年甲寅12月21日(西暦1855年第2月7日 魯歴第1月26日)下田に於て調印された日本国魯西亜国通好条約に明確である。(以下略)

日本国魯西亜国通好条約

安政元年甲寅十二月二十一日(西暦千八百五十五年第二月七日魯歴第一月二十六日)於下田調印
安政3年11月10日(西暦千八百五十六年十二月七日魯歴十一月二十七日)於同所本書交換

日本国と魯西亜国と今より後懇切にして無事ならん事を欲して条約を定めんか為、魯西亜ケイヅルは全権アヂュダント、ゼネラール・フィールズ、アドミラール・エフィミュス、プーチャチンを差越し日本大君は重心筒井肥前守川路左衛門尉に任して左の条々を定む


第1条 今より後両国末長く実懇にして各其所領に於て互に保護し人命は勿論什物に於ても損害なかるへし

第2条 今より後日本国と魯西亜国との境「エトロプ」島と「ウルップ」島との間に在るへし「エトロプ」全島は日本に属し「ウルップ」島との間に在るへし「エトロプ」全島は日本に属し「ウルップ」全島夫より北の方「クリル」諸島は魯西亜に属す「カラフト」島に至りては日本国と魯西亜国との間に於て界を分たす是迄仕来の通たるへし

第3条 日本政府魯西亜船の為に箱館下田長崎の三港を開く今より後魯西亜船難破の修理を加へ薪水・食料欠乏の品を給し石炭ある地に於ては又是を渡し金銀銭を以て報ひ若し金銀乏き時は品物にて償うへし魯西亜の船難破にあらされば此港の外決して日本他港に至る事なし尤難破船につき諸費あらは右三港の内にて是を償ふへし

第4条 難破漂民は両国互に扶助を加へ尤滞在中是を持つこと援優なりと雖国の正法を守るへし

第5条 魯西亜船下田・箱舘へ渡来の時金銀品物を以て入様の品物を弁する事をゆるす

第6条 若止む事を得ざる事ある時は魯西亜より箱舘下田の内一港に官使を差置へし

第7条 若評定を待へき事あらは日本政府これを熟考し取計ふへし

第8条 魯西亜人の日本国に在る日本人の魯西亜国に在る是を持つ事緩優にして禁錮する事なし然れ共若し法を犯すものあらは是を取押へ処置するに各某本国の法度を以てすへし

第9条 両国近隣の故を以て日本国にて向後他国へ許す処の諸件は同時に魯西亜人にも差免すへし


本条約、魯西亜ゲイヅルと、日本大君と又は別紙に記す如く取極め今より九箇月に至りて都合次第下田に於て取換すへし是に因りて両国の全権互に名判致し条約中の事件是を護り雙方聯違変あることなし


安政元年十二月二十一日
魯暦千八百五十五年第一月二十六日

筒井肥前守  花押
川路左衛門尉 花押
エフィミュス・プーチャチン 手記

米・英・ソ・ヤミ取引の禍根

クリミヤ半島のヤルタでルーズヴェルトとチャーチルがスターリンを仲間に入れ、領土不拡大の大西洋憲章を反故にしてスターリンに参戦を促し日本の北方領土割譲を約した禍根は今に至っている。

米英は支那事変での援蒋行為と共に大きな過ちを犯したのである。彼等の行為は自らの植民地を失い、支那大陸の赤化を許し冷戦を生じ、アジア、アフリカに幾多の争乱を生んだ。被抑圧民族の解放は喜ぶべきことであるが、米英にとっては大いなる敗北であった。

その無責任な約束のため北方問題が未だに尾を引いている。

私はまず日ソ中立条約を破り三選したスターリンの悪行を現在のロシアは深く恥ずべきであると思う。そして前千島・南樺太はもとより北樺太の石油・石炭採掘権も含めすべてを戦前状態に復し、その上強制抑留や満蒙などすべての侵略に因る非道無道を深く謝罪、反省し賠償までしなければならぬくらいに考へてゐる。スターリンの強奪した遺産は法と正義に基づき解決すると前大統領エリツィンが申した様に還すべきが当然である。

日ソ中立条約

さかのぼれば日ソ中立条約は昭和16年(1941)4月13日、日本松岡洋右外相とソ連モロトフ外相の間で調印された双方国益の為作られた有効期間五ヶ年の国家間条約であり、これをふみにじったソ連は重大な背反責任を負うべきであり、又教唆破棄せしめた米、英も共に同罪というべきものである。

日ソ中立条約では日本はソ連の要求した北樺太における石油、石炭の利権放棄まで受け入れて居る。又「相互領土の不可侵」及「一方が第三国との軍事行動中他方はその全期間中立を守る」このになっている。即ちソ連はこの条約で北樺太の石油、石炭の利権を取り上げ、次いでこれを一方的に破棄して侵略をなし、北方領土を強奪して住民を追い出し、日本人を強制拉致してシベリアなどに抑留し多大な犠牲者を出した大悪行を反省するなら、四島のみでなく領土利権すべて戦前の状態に復し、その上あらゆる損害の賠償を為し、悪行の陳謝を為すべきが当然なのである。即ちサンフランシスコp対日講和条約で南樺太及び千島列島の放棄がうたわれているが、その帰属は定められてゐない。ましてこの条約に参加してゐないソ連にこれを領有すべき根拠はない。

プーチンが大正九年(1920)の尼港事件なども含め日本民族への和雄沖戦争の挑発・侵略行為を反省し、スターリンが条約を破り強盗行為で得たものは謝罪してすべて返すのが当然であることをロシア国民は知らねばならない。

それがどうであろうか人道援助か知らぬがムネオハウスや発電施設をつくり居座っている住民の生活環境向上に貢献ばかりしている。その様な事をして領土が帰ってくるとでも思っているのであろうか、それどころかあんな島々を返してもらっても何等利益にならないなどと言う者さえ出て来ている。左翼の論だがムネオも言ったらしい?

私が40年前当時のソ連大使フェドレンコが金沢で左翼団体主催の日ソ親善の夕べに来たとき、好機到来と北方領土要求デモを決行した。警官が林立する中でのその騒ぎをマスコミは一行の記事にもしてゐないことは折に触れて述べて来た。その半面、すでに潜在主権を認めているアメリカへの沖縄返せは連日すさまじい報道ぶりであった。この左傾偏向報道こそ北方領土が未だに還らぬ原因である。さてその2〜3年後(昭和40年頃?)フェドレンコ大使は次の様に述べている。「北方の島々はもはやソ連人の故郷だ。住民には子や孫までも出来た。魚の缶詰工場や、その他産業も出来ている」と。それから30数年たつ。当時の若い住民も老人となり子や孫の時代であり、彼等のふるさと意識は更に強く重厚となっている。我等の父祖伝来、先祖墳墓の地、この固有の領土に人道か知らぬがムネオハウスを建て、発電施設を設けるなど援助を重ね住み心地を良くして島を返せと言う。何か矛盾して居ないだろうか、繰り返すが参考のため8年前地方紙に載せた拙文の一部を掲載する。

盗人猛々しきロシア

本年(平成6年)八月中頃我が北方領土で漁船数隻が相次いで銃撃を受け乗組員が負傷したり、或は上院・船を拿捕され、又10月4日には喫水線下に被弾した漁船が沈没させられ、乗組員が逮捕された。その10月4日夜、北方領土のロシア人が大被害を受けたときく。

地震の翌五日、ロシア外務省は昨日の漁船沈没事件で「日本漁船のソ連領海(真実は日本領海)」侵犯は許し難い」と日本大使に抗議して居る。その舌の根も乾かぬ同じ五日、ロシア政府は強奪した国後、色丹両島を中心に地震で産業が壊滅的ダメージを受けたので、人道支援を始め、水産加工業の復興のため日本政府に全面支援を要請する方針を固めたという。

全く図々しいにも程がある。翌六日、日本政府は人道的見地から緊急救援物資を供与する方針を決めている。一方では相変わらず日本漁船が追われてゐる。あまりにもロシアは図々しく日本は情けないではないか。

考えても見よ、他人の家へ押し入って家族を殺したり又は追い出し、これはおれの家だと居座って50年、どれだけ還せと言ってもかえさず、家が壊れた、住民がひどい目に遭っているから援助を頼むと、追い出した家主に言えるものだろうか。人道ということさえ厚顔無恥だが、厚かましさでは立派なものであり、それを受けて人道支援をしようという者は、塩を送る謙信の故事を思っているのかもしれぬが、それは大違い。敵は正常な人間ではなく大盗賊だからだ。盗賊に人道援助をしたり親露売国政治家は国民の血税を浪費せず自分の財産を使ってするが良かろう。

こんな強盗に人道を施すのなら、北方領土で殺され、追い出された多くの日本人の奪われた人道をどうするのだ。どぶに金を捨てるよりも悪いのだ。居座り強盗の居住権を認め、既成事実を固めさせるのに援助することにならないか。この様にナメられッぱなしの弱腰では強盗の後継者は未来永劫決して北方領土を返すはずがない。

50年前我国が戦争継続不可能にまで弱り果て、戦う力なきことを見越して日ソ中立条約中であるに拘らず突如侵略をはじめ、終戦後九月までも進撃を続け、住民を殺し、追い出し、或いは逮捕して強制労働に駆りたて、北方領土はそのまま強奪して居座り続けている。その後も漁船拿捕、銃撃も含め、不法、無道を繰り返して今に至ってゐる。

領土のみでなくシベリア強制抑留も含め、日本人に筆舌に尽くし難い非人道、屈辱と犠牲を与えて来たのだ。北方領土(樺太、千島全島及北樺太の石油・石炭採掘権まで)を返し、且不法無道の数々に対し補償謝罪をどれだけしても足りぬロシア(旧ソ連)なのだ。

ところが謝るどころか強奪した者を還さず援助まで頼むという。この天文学的図々しさこそアジアに誉められることこそ多いのに謝罪、謝罪とペコペコばかりして居る日本政治家はその爪の垢でも煎じて飲むがよかろう。

むすび

ムネオが暗躍した北方支援事業とは一体何なのであろうか。内容やその精神を知らないがバカバカしい限りではないか。こんなことをしていることが早期返還に逆行することぐらい何故わからぬのだろう。それは本文中に在る様に約40年前フェドレンコが「島はもうロシア人の故郷だ」といった事をみてもあきらかではないか。現住民に罪はないが莫大な血税を使い彼等の生活を向上せしめねば島が還らぬとでも思っている様なノーテンキな外務省や政治家のバカさ加減にあきれかえるのだ。瀋陽事件一つ見ても分かるが外務省否日本人がかくまでド根性を抜かれ、腰ぬけペコペコ、ゴマスリ精神になったのである。竹島の既成事実を見ても早期返還など夢のまた夢か。嗚呼!

如何にして父祖に相まみえん。

HOME