心の公害と近現代私観
日本をまもる会会長、大東亜青年塾塾長
中田清康
心の公害
日夜報道を賑はす諸事件を見てよくぞここまで国がこわされたかと暗澹たる想いにかられるのはひとり私だけではなかろう。少なくとも余程のひねくれ者を除いて戦前を知る日本人なら誰もが懐く感慨である。ここ半年ぐらいでも路上無差別殺人、妻による夫と息子の保険金殺人、女子高生売春から神奈川県警の不祥事、母を川に投げ込んだり、殴り殺したりこの世のものと思われぬ事件の連続である。そして今もこの様なことの起きる萌芽は日本全国津々浦々に充ち溢れている。数千年の遺風、伝統を弊履のごとく捨て去り祖国を冒涜して居る傲慢への天譴であり今のままでは益々諸悪の猖獗は間違いないであろうと私は感じている。
経済繁栄などにうつつをぬかしているが正に精神亡国であり、真の滅亡への道を歩ませられていることに気づかなければならない。神の恵みによりこの国に生を享けた祖先の叡智によって素晴らしい日本文化が開花し、君民一体世界無比の国柄は数千年の風雪に耐え、明治以降は東洋の星としてその世界史的使命を遂行した。名誉ある敗戦にもかかわらず自国冒涜、破壊自虐の姿をどうして祖先は許されるであろうか。かつて東洋の君子国と讃えられ、世界の尊敬と憧憬をもってみられた日本民族がかくも無残にうらぶれたのである。
その元凶は一体何であろうか。事件が起きれば、背景や原因をかしましく識者といわれる人達の迷論百出であるが一向に良くならず、益々混迷の度を深め乱されていくばかりであることは現状が証明して居る。
ほとんどの事件の原因は自己中心を育み、人間性と道徳心を喪失させる教育と、軽薄な報道による自制心、道徳心の欠落であることは分かり切っているが、誰もが心理学用語で誤魔化すだけの皮相的見解に終わり、その真因の追究抜本的解決方法となればタブーとされている聖域に踏み込まねばならず、それを言うこと自体現行人権偏重・個人主義優先の価値体系を否定することになり教育も報道もよるべき基準を失ふことになりかねない。簡単に言えば昔の教育勅語のある世の中を取り戻せばよいと謂うことだけであるが、そこで尻込みせざるを得ないのである。この国を破滅に陥れたものが、戦後憲法であり、これを利用して国も道徳の破壊も許される自由放題の民主主義体制であり、それと共に占領政策が落して行った毒(神道指令等)がもたらした教育、出版、報道による祖国破壊が延々と続けられて来たことが現状の精神亡国の元凶であると言わねばならぬのにそれを言えないし書けないのである。
太陽政策によっておだやかに変えていくべきという人もあるが、この国を弱体化する目的でつくられた諸制度(毒)の改正、排除の手術も行わず、毒が充ち溢れ、又次々注入される毒があまりにも多く自然の浄化作用では過負荷を通り越しているが故に起きる猛毒の氾濫が現状であることを悟らねばならないのである。
我が国は古来あらゆるものを受け入れる太陽の国であり、寛容融和の大和民族である。なるが故に戦後かえってそれが仇となり、謀略を受け入れるに寛大でありすぎたため日本が壊され、その破壊的精神亡国状態となっていることを肝に銘じ抜本対策、大手術が必要なのである。
くり返し簡単に述べるならまず戦後の憲法体制を破棄せねばならない。
国家の尊厳とそれへの忠誠がうたわれる憲法に変えることが出来なければ本然の正しい姿を取り戻すことは出来ない。それによってのみ真の日本民族の自覚と道徳の回復をはかることが出来るであろう。
更に繰り返すが、唯物、個人人権偏重の現憲法が諸犯罪の元凶なのである。日教組や同和に教育を破壊される凶根がここにある。
戦前を暗黒の如く教えられた人々が国民の八割を超す現在、まず病根の摘出削除こそ急務でありそれが今後の諸悪を防ぐ唯一の道である。未来永劫祖国の平和と子々孫々の幸せのため日本をあるべき本然の姿に還さねばならない。それこそこの国を我々に伝えてくれた数千年の先祖への感謝であり天の道でもある。
昔の良い事を一つも教えられず、いつわりつくられた悪の日本を信じている人達は昔に返せと言えば暗黒の時代に戻される様に思うだろうがそれは全くナンセンスである。前述冒頭の様な諸凶悪事件多発の世の中こそ地獄であり、其れから見れば戦前は心豊かな極楽であった。
近現代史私観
さて前述の考えを異常と思う人や、昔の日本はすべて悪であったと教えらている人達のために簡単に近現代史私観として歴史認識を述べる。
それは昔=悪の認識が日本精神への大きな公害であると考えるからである。我国は戦争を好んで起こし他国を苦しめた軍国主義であったとされているがそれは全く間違いである。
軍国主義とは強い軍隊をもって他国を侵略し国家を発展させるものとすれば我が国がそんな主義をもったことは一度もない。明治時代以降富国強兵の国策により自存自衛の軍備をもったために欧米侵略強国に侵されず、ひいては侵略抑圧されていた世界中の国々、又眠っていた風前の灯であった支那、朝鮮も救われたのである。我国がその時代、侵略者に対する戦時体制、臨戦態勢の軍備と充実した気力、国民精神の健全があったならこそ日本が安全であり得たのであり、アジアが救われたのである。日清、日露の両戦役から大東亜戦争に至るまで父祖が祖国とアジアを救った大恩を忘れ、偏向文書を読んだだけの誤った知識しかない者がしたり顔で軍国主義が国策を誤り国を滅ぼしたとか、無謀なバカな戦争を始めたとか、昭和初期関東軍の暴走とか、又軍の局部的作戦の失敗をもってすべてを日本軍の無知無能の如く罵倒したり日本軍を悪しざまに言うことが賢明である如く浅はかな後知恵によって父祖に泥をかける者があとを絶たない。それのみかアジアを裏切り、共産主義と英米の術策に乗り幾多日本同胞を死地に追いやった蒋介石を大恩高徳の士の如く讃えたり、平和を求める日本を戦争に引きずり込み、無差別爆撃や原爆投下の非人道で戦勝国となり占領政策でこの様に日本人の心を壊した米国を戦後民主主義と食料を送ってくれた救世主大恩人の如く賞賛する者が殆どである。又未だにその与へられた亡国憲法による民主主義体制を金科玉条と頂いて居ること自体その愚かさははかり知れない。
又、日本軍と蒋介石国民政府軍をあくどい謀略によって戦わせた戦争犯罪の張本人というべき中共であるにもかかわらず、日本が中国人民を酷い目に合せ被害を与えたとばかり思い込んでいる人がほとんどである。その上朝鮮を侵略強奪し植民地にして苦しみばかり与えたなどなど、日教組・左翼勢力、又それに思想占領された報道機関によって、戦前の父祖はアジアにひどいことをして苦しみばかり与えて来たとだけ教えられ、貢献した多くの真実を全く教えられず誇り無き衆愚の日本人となり果てているのである。言い忘れたがソ連に至ってはその悪逆無道は言うべき言葉もない。
満洲国
私は五年間満洲国をこの目で見て来たものである。そのときの見聞を少し述べる。
@満洲人は日本人がロシア人を追い払ってくれた恩人として感謝していた。
昭和十六年吉林郊外の満洲旗人の家を訪れたとき、その家に乃木大将の写真がかけてあったのを見た。満語の出来る友人が何故かと尋ねたところ、日本軍は悪い事ばかりしたロシア軍を追い出してくれた恩人だ。日本は素晴らしい、ロシアは悪い奴だと言うことだった。私は「リーベン(日本人)テンハオ、ターピーズ(ロシア人)テンハオメイヨ」と言ふ声が何度も発せられたことが今も耳に残っている。
Aそのとき吉林市を流れる松花江を利用する巨大な豊満ダムの建設工事も見学して来たがその雄大なダムの電力は今も満洲に大きな恩恵を与えていることであろう。
当時吉林郊外の龍潭山でこの豊満ダムの余剰電力を利用するため建設中であった合成ゴムをつくる電気化学工業や、泥炭を液化して石油をつくる人造石油工場も見に行ったがその後どうなっているであろうか。どこを見てもこれら数々の時日で日本人が満蒙で偉大な建設を成し遂げていたことがわかるのである。
Bその他国都新京のすばらしい建設、満鉄沿線・南満重工業地帯・遼東半島の大連・旅順など私がこの目で確認した巨大な満蒙の開発こそ、ロシア軍を追い出して、民生の安定と向上に尽くした日本軍の偉大な貢献ではないか。
C彼等は与えられたことを少しも言っていないのだ。ソ連軍に武装解除された日本軍の兵器を譲られた恩恵を言はず、事実を知らぬ者達のペコペコ外交をよいことに遺棄でもない化学兵器を日本軍の残した罪悪として処理させ、七三一部隊の犯罪ばかり誇大に取り上げているが立派な貢献を何一つとして言はない。例へば原因不明の高熱で犠牲者の多かったデング熱を究明(ネズミに寄生するノミが原因であった)してその防疫に貢献したり、牡丹江の大洪水では七三一部隊の防疫給水班の大活躍で広大な地域の住民が救はれた功績など一切黙殺して居るのである。語ればきりがない。いづれにしても馬賊・匪賊跳梁し兵争の絶ゆることがなかったこの荒れ果てた満蒙大陸を軍紀厳正の日本軍が、住民の喜び溢れる大同協和の王道楽土満洲国にしたことは厳然たる事実であり、平和の地を求める漢民族の流入によってもたらされた人口倍増こそ、何よりの証明であろう。満洲についてはきりがないので、これくらいにして朝鮮を少し書く。
朝鮮
先日テレビで金嬉老が小学生のとき民族差別で、梅干弁当をひっくり返されたと、大きく映し出されていたが、差別とイジメを強調するためだろうがバカバカしい。その正反対のことを述べたい。
私の小学校同級生に都鳳龍(トホリュー)が居てトーサン、トーサンと呼ばれ人気者だった。彼は毎日梅干ならぬ醤油をかけた御飯だけ持参して居たが、弁当時間には必ず級友の旨そうなおかずをつまんで歩いた。トーサンに玉子巻や干鰯をとられても誰も腹を立てず皆喜んで分けていたのだ。それは6年生の時であったが、私達は民族差別など少しも感ずることはなかった。同和の如く殊更に泣かん子を泣かす様に取り上げるからおかしくなる。又、最近北國新聞“地鳴り”に「Xデーが来ない事を祈る」と31歳の投稿が載っていた。こんなものを出す記者も、投書子も当時を知らぬのだから目くじらたてることもないのだが、知らぬ人が読めばほんとうにするのだから教へて置かねばならない。それは日本人が朝鮮人をひどい目に合せたからそのウラミでテポドンが日本へ向くのはあたりまへといった論理である。知らぬにも程があるし、又そんな教育をして居るのが日本だけでなく、韓国、北鮮みなそうだとすれば誠に不幸な事である。
もう一例をあげる。私の中学2年生の頃であったか、朝鮮人の部隊長が日本兵をひきつれて、支那軍を打ち破り金鵄勲章をもらったということが新聞に載り評判になった。朝鮮人は鼻高々大喜びであり一年先輩の朝鮮の生徒が喜び勇んで居たのが私も嬉しかったことを思い出す。又昭和17年頃、親友であった都鳳龍は日本名星山直一になって喜んでいたことも懐かしい。
在満の朝鮮人はだれもかも日本名に進んでなり日本人だと言うことを誇りにして居た。500年余に亘り支那に属国扱いされ、朝鮮人といへば、支那人にバカにされ続けて来たことを思へば当然のことであった。
日本から巨額の血税をつぎ込み鉄道、橋梁、工場、港湾、治水治山、又京城帝国大学など内地以上の教育施設の充実建設等々つぎ込まれた巨大な社会資本は民生向上に著しい貢献をなしている。
日本の影を消すと言って近年朝鮮総督府を破壊撤去したが誠に児戯に等しいものであろう。ならば日本から与へられた鉄道も橋も、工場も、学校も治山治水まですべて破壊して始めから出なおせばよい。先祖のなしたやむなき条約による併合がそれほど不満なら相変わらず支那の属国であるかロシアに侵略併呑された方がよかったのだろうか、身勝手にも程がある。
言いたいことがまだまだあるが、これで朝鮮を終る。
結び
英雄ジンギス汗は「後から来る旅人のために泉をきれいに保て」と諭した。祖先は子孫を思いやり風土に適ふ数々の大切なものを残してくれた。それこそ清冽なる泉である。
世界に比類なき国柄、素晴らしい固有の伝統文化の数々―家族制度や教育勅語は最も大切なものであった。それら希少価値である泉の成分をすべて占領軍に言われるまま封建的遺物として消し去った。それはきれいな泉に汚水(毒薬)をぶち込まれたに等しい事であった。独立後も毒の注入は際限なく、汚濁は進行するばかりで現在に至ったのである。聞くところによれば戦後ドイツは教育制度改革の押し付けに対し、ドイツの教育は伝統があり優れていると拒否したという。そのドイツのアデナウアー首相は教育勅語を独訳して自室に掲げ人生哲学の金科玉条であると賞賛し、又台湾の大学長許國雄博士は教育勅語を学長室に飾り精神教育に大きな成果をあげて居られる由である。シベリアで聞いた話だが、ドイツ人収容所ではヒットラーよりもスターリンの方がずっと悪い人間だと主張し絶対スターリンの肖像画を掲げなかったということである。我々の収容所には大きなスターリン大元帥万歳の絵が掲げられていた。帰る時にはスターリンへの感謝決議や、天皇島敵前上陸といった集団まであった。よくいえば何でも受け容れる日本人の包容力となり、悪く言えば信念、信条の欠落、付和雷同ともいへることになる。単なるもみ手の迎合こそ最もいみ嫌ふべきことであろう。
昭和五七年来日した収容所列島のソルジェニーツイン氏は次のような事を述べている。
「日本人はかつて激しく西洋文明の摂取につとめてきたが、同時にそのたぐいまれな民族的特性の維持にも極めて熱心だった。日本人の民族的伝統の根は、日本人にとってかつての巧みな西洋事情の摂取に劣らず重要であり、このことは現在、西洋が深い精神的危機の流れの中にあり、道義的充実性を失いつつある時だけになおさら重要である。」
今こそ本然の姿をとり戻すため清き水を汚す毒を徹底除去すべき非常のときである。
明治天皇の御製を拝しよう。
よきをとり 悪しきを捨てて 外つ国に 劣らぬ國に なすよしもがな
今は勿体なくも
よきを捨て 悪しきをとりて 外つ国に 劣れる國に なるぞ悲しき
となった 憶!