大東亜聖戦の歌発表までの経緯

日本をまもる会会長、大東亜青年塾塾長
中田清康


当会が総力を挙げて来た大東亜聖戦大碑完成は、日本を滅ぼす謀略によって余りにも醜く汚された祖国を本然にかへす第一歩であり、それにはまず亡国の元凶である東京裁判並びに左翼謀略史観を一掃する以外にはない。

大碑の建立はこのため日本の正義を世界に宣言するものであり、又素晴らしい国の誇りと活力を人々に与えるためである。その一環としてまず真実の歴史を力強く歌うことが必要であると思い、私(中田清康)は平成10年春近現代史研究の第一人者といへる有名な「大東亜戦争への道」の著者でもある独協大学中村粲教授にその意味での作詞を依頼した。そして心血を注がれた原稿が同年9月末当会へ届いた。直ちに旧陸軍戸山学校出身、本日の軍楽隊大演奏会総括責任識者の高沢智昌氏に作曲を依頼し、平成11年3月末心魂を傾けた曲が完成した。翌4月17日東京九段会館で催された軍楽隊大演奏会に於てこの歌曲を試演奏したところ絶賛を浴び感動の渦を巻いた。その後感想文等をも参考に加筆が行われ、同年8月22日発表にこぎつけた次第である。この歌をきくとき白色侵略の渦中、皇国日本の存在こそ神の偉大なる配慮であり、身を滅して戦った我が国の奮戦を中韓をはじめとするアジア諸国は感謝をもって讃えねばならぬことを知るであろう。

大東亜聖戦の歌
作詞  中村 粲    作曲  高澤 智昌

黒竜江の流血に 二十世紀の東洋は
妖雲の下明けゆけど 支那は眠れり朝鮮も
白禍の脅威夢の中


四百余州と大八洲 共に睦みて栄えんと
声励ませど耳貸さず 泰西人に阿りて
支那はアジアを忘れたり


満韓侵す露を討てと 皇師は進む鶏林を
はた黄海の波分けて 旅順奉天対馬沖
屠れる敵は幾万ぞ


萎えゆく東亜救はんと 差し伸ぶ手をば逆恨み
洋夷赤露の威を恃み 我を蔑する支那なれば
満蒙の地嵐呼ぶ


広袤千里満洲は 扶餘高句麗の昔より
兵争絶ゆる暇なきが 大同協和の国建ちて
興安嶺に光さす


銃声響く蘆溝橋 隠忍の我侮りて
抗日叫ぶ蒋と毛 わが咽元に刃擬す
ABCD包囲陣


遂に来れり決戦の 火蓋切ったる真珠湾
シンガポールもフィリピンも
ジャワも一撃なびき伏す
米英蘭は跡もなく


わが皇軍の進撃に 凱歌は上る大東亜
白き鉄鎖を断ち切りて 十億の民起つところ
山河新たに生命あり


満蒙支那に南溟に はた朔北に山行かば
草むすかばね海ゆかば 水づくかばねと若きらが
いゆき捧げしその命

10
四歳に亘る勇戦も 衆寡敵せず皇軍は
矢弾尽き果て花と散る されど揺がず大亜細亜
独立の意気天を衝く

11
武運拙く敗れしが 見ずや亜細亜のこの歩武を
一髪土に残らずも 嗚呼大東亜聖戦の
誇りは高しわが心

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