アメリカ許すべからず
(平成15年)

日本をまもる会会長、大東亜青年塾塾長

中田 清康


はじめに

 まず本文の論旨を述べたい。

 ここでいう侵略とは、領土のみならず他文明の改変、思想侵略また経済侵略も包含する。

 世界革命を目指したコミンテルン(世界各国の共産党の国際組織。レーニンが一九一九年に創立し、国際共産主義運動を指導)は赤化思想の輸出に破れたが、今やアメリカが「自由と民主主義」の美名をスローガンに、他文明の伝統と尊厳を無視、破壊する横暴のグローバル的輸出を行っている。

 大東亜戦争における、我国伝統文化への、アメリカの強権による破壊を見れば、その弊害は論ずるまでもない。

 余談だが、アメリカに服従させるための日本弱体化こそ、世界平和にとって大損失であった。

 さてチグリス、ユーフラテス両河の流域は、古代文明の発祥地として古く置く深い、特異なイスラム文明の地である。

 そのイラクに、軽薄なアメリカの「自由と民主主義」を与え、解放するという。

 このおぞましい野望を我国の多くのポチ保守知識人が「ごもっとも」と賛同している。

 アメリカにやられた彼らの情けない腑抜け精神に、私は警告を発したい。

アメリカが日本にしたこと

 インディアン狩りから独立戦争、南北戦争を経て、近世から現代までの短いアメリカの歴史は、適当な理由をつくっては「侵略、膨張、不法ゴリ押し」を重ねた連続ドラマと言える。

 独立以来アメリカの国土が侵害された事は、大東亜戦争中以外では、平成十三年(二〇〇一)九月十一日まで一度もない。

 かの国にあるのは、他への侵略のみである。

 明治三十一年(一八九八)、一〇〇年続いたカメハメハ王朝を滅ぼしハワイ強奪。スペインに言いがかりをつけ米西戦争を起こしてフィリピン、グアムを獲得した。そのフィリピンでは、革命政府の大統領となったアギナルド将軍に対して「独立させてやる」とだまして協力させ、今度は、アメリカ支配に反対する住民約一〇〇万人を殺害したといわれている。

 日露戦争中(明治三七〜三八年)、すでに日本を「アメリカに対抗する恐るべき国」すなわち仮想敵国と看做していわゆるオレンジ計画を立て、自らは支那大陸の利権を狙い、東洋侵略の野望はついに大東亜戦争となっていく。

 昭和十二年(一九三七)、中国共産党の謀略によって始まった支那事変では、早期終結を望む日本をよそにして、アメリカは中国共産主義者とともに妨害した。結果、日本は泥沼戦争に追い込まれる。

 大陸では、アメリカはさらに反共・蒋介石の中国国民党軍へ物資援助(ビルマ援蒋ルート)し、アメリカ航空隊まで出撃させ実質的参戦をなした。

 そして昭和十六年(一九四一)、我国の息の根を止めるためにA(アメリカ)・B(イギリス)・C(中国)・D(オランダ)包囲陣による経済封鎖(資産の凍結と石油禁輸)まで行った。

これでは自滅以外にない、と憂えた我国は、戦争終結を決意して同年三月より日米交渉に入り、支那事変の解決を求めた。

 我国の延々八ヶ月に及ぶ譲歩を重ねる誠意も、はじめから戦争参加の機会を狙うルーズヴェルト大統領には馬の耳に念仏で、交渉など赤子をあやすが如きだましすかして、まったく誠意など見られない。最初からただの時間稼ぎであったことは、同年十一月二六日の「対日宣戦布告」というべき「ハル通達」で明らかであろう。

 そして十二月。昭和天皇は畏くも「ことここに至る、まことにやむを得ざるものあり」と仰せられ、米英両国に宣戦布告がなされたわけである。

 陛下はもちろん当時その折衝にあった東條英機大将ほか重臣の御心中を察すると、まことに痛恨の極みである。

 かくして大東亜戦争が始まり、支那事変以来八カ年に及ぶ戦争は、アメリカによる我が国諸都市への残忍な無差別爆撃、そして広島・長崎への残虐なる原子爆弾投下という、神人ともに許されぬ非人道行為と、中立条約を結んでいたソ連の不法参戦があり終結した。

異常国家アメリカにイラクを裁く資格はない

 その後ベトナム戦争(昭和三五〜五〇年)でも、多くの災害を残した化学剤散布による枯葉作戦等をアメリカ軍は行っている。

 アメリカの侵略と残虐行為は、かように数え上げればきりがない。

 その数々の残忍を想起すれば、ブッシュ一党のフセイン攻めは大泥棒がコソ泥を大悪人だと裁くに等しい。

 テロ防止を口実に、石油利権や兵器実験のため罪なき人々を恐怖に陥れるその残忍は許せない。

 これを「自由と平和のため」と言うを聞いて、ただあきれかえるばかりである。

 イラクを異常国家と呼ぶが、どちらが異常か。

 なぜ九・一一テロが起きたか、まず自らの異常を省みるべきではないのか。

 日本への無差別爆撃も原爆投下も異常であったし、「平和に対する罪」などという許されぬ事後法をつくり、極東軍事裁判を開いて、罪なき方々を戦犯として処刑したことも大きな異常犯罪である。

 その昔、日露戦争後、敵将ステッセルが罰せられると聞き、「寛大な処置をせられますよう」とニコライ帝に書を送った乃木将軍を見よ。

 乃木将軍はまた、旅順での日本軍戦没者の碑を建てる前に、ロシア軍の慰霊碑を建て鎮魂祭を催している。

 私がシベリア抑留中、ジャガイモ収穫作業で言った農場の長は、日露戦争の旅順戦での捕虜であり、彼は「四国・松山収容所での生活が一生の中で一等楽しい生活であった」と語った。また「日本人は親切で優しかった。帰国のときには衣服を二着ずつもらった。それに比べお前達は本当に可哀想だ」と涙を浮かべて話したことが忘れられない。

 支那戦線でも敵の戦死者を日本兵と同じように弔った美談は数多い。

 それに比して戦後、帰国した直後、私の脳裏に強く焼き付いている、もっとも許し難いことはアメリカ占領軍の残忍である。

 無法裁判における七戦犯の処刑を皇太子(今上陛下)の御誕生日(十二月二三日)を期して執行したことであった。

 この一事からも、日本精神殲滅のためになした、数多いその他すべての伝統文化破壊の悪事は推して知るべしであろう。

心の底から生ずる怒り

 ポチ保守共は、この罪悪国家アメリカが「自由と民主主義のため」と称し他の文明を抹殺することを「当然」と言い、イラクを「犯罪異常国家」とあたかも確認したかの如く決めつけ、「強いアメリカに追従すること」がそのまま日本の国益となるとしている。

 さらに、これに異を唱える者を「いたずらな反米論者」とし、「アメリカ支持を打ち出せ」というのだ。

 これに反論したい私の反米は、ありもせぬ反日を政治のために作りだす隣国の類ではない。

 真実の歴史を知る我々古い世代が、肌で知ったことを新しい世代の人々に知らせ、日本の精神と祖国の正常を取り戻すためなのである。

 戦前のよさ、戦中の真実、戦後の状況を、大正生まれの我々はこの身で感じ心に深く焼きつけている。

 そのすべての時代を通じての憤りや惑乱、悲しみを、また戦前の心あるよき時代を知るがゆえに、これを壊した者への怒りが心底から生ずるのだ。

 これは真実の声、日本の本然の姿を取り戻せと言う声なのだ。

 スターリンが没し、その批判がフルシチョフによってなされて久しいが、スターリンの歴史的存在価値を認める者が、いまだにロシアでは六〇%いるという。イラクもまた複雑な宗教・民族問題を抱えているが、それを統べる暴君といわれるフセインもまた歴史的必然であった、といわれるだろう。

 アメリカがイラクを侵略し「自由と民主主義」を押し付けるのは、アメリカによるイラク文化への利己的国家テロであり、それによって起きる無辜の民の殺傷、莫大な復興費用等を考えても重大な犯罪行為と断定せねばならぬ。

結び

 前述したように「強いアメリカに頼れ」とポチ保守が言う。となりに北鮮があるから、それが国益だ、と言う。

 私はそのような考えこそ最も愚かではないかと思う。

 名もなき極東の一小島国がアジアのため当時世界一強大な軍備をもつロシアに立ち向かい、これを破って白人侵略を終焉に導いた。

 この誉れ高い父祖に恥ずかしくないだろうか。

 今こそ、アメリカの傘にかくれてすがる情けない心情と決別し、真の独立国になる最高の天与の機会ではなかろうか。自衛隊が自ら祖国を護り、自国の安泰と世界平和に尽すため、誇りと伝統に輝く真の日本軍となる。

 すぐにそれが出来ずとも日本がその気構えを示すだけでも北鮮への抑止力となるのだ。

 祖国の周りを見よ。北鮮のみではない。

 我が国は「何も出来ぬ」と見くびられている。

 韓国に竹島を取られ、またルーズヴェルトの差し金でスターリンが日ソ中立条約を破棄して参戦し、ソ連に強奪された北方領土は半世紀過ぎた今もそのままである。

中共のチベット侵略、ウイグルや台湾問題等々アジアにも難問が山積している。

外交は力を持たねばならぬ。金と正義だけではどうにもならぬ。

ポチ保守は、これらすべて「金を貢いでアメリカ親分に解決してもらうべし」と言う。

私にはイラク戦争は、道義心なき自分本位アメリカの傲慢な弱い者イジメであり、天道に背く非人道としか映らない。

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