大正世代の感懐
(平成18年)

中村 三郎

戦後60年の歳月が流れたが、我々は大東亜戦争の渦中に文字通り身命を賭して国難打開に挺身した。

竹馬の友は昭和20年6月沖縄特攻巨大戦艦「大和」に乗り込み、元より生還を期せず、眦を決して戦うも力尽き恨みを呑んで憤死した。
刎頚の友は終戦直前の特攻兵器「回天」の開発研究にあたり、若き勇士らとともにその至純至高の魂魄で散華したのである。
憤慨に堪えないのは終戦直前に中立不可侵を無視して、怒涛の如く満洲に攻め込んだソ連である。
60万の日本軍将兵は極限の厳寒と飢えに苦しみながら強制労働に耐えた。そしてその約1割は恨みを呑んで息絶えたのである。

戦後は廃墟の中から立ち上がり、今日の繁栄と平和を築き上げる中核となってきた。我々戦中派がひそかにそれを誇りと考える事は、僭越であろうか。然し我々が前世代から受け継いだ民族の精神を十分に次の世代に引き渡し得たかどうか。我々の先輩が骨の髄まで諭してくれた「信義」「礼節」「勤勉」「質実」「謙譲」「廉恥」という徳操を伝承し得たか否か?ここに大きい危惧と忸怩たる反省がある。

翻って移り変わりゆく世相を見るとき、このまま進むと現実の繁栄とは裏腹に「日本の将来はどうなるか」という危惧に襲われる。「栄枯盛衰の慣い奢れる平家は久しからず」という古語もある。
そしてそれが我々世代の怠慢による民族精神伝承の欠陥に基づくものではないかと反省するとき激しい焦燥を感ずる。痛憤の涙をのんで散華した至純至高の刎頚の友の鎮魂のために滔々たる世の流れに逆らい、このことを次の世代に正しく引き継がねばならないと切に思うのである。

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