日本語について考えたこと
(平成17年)

中村 真亘

ここしばらく、興味があって、とある文語体の文章をずっと読んでおります。文庫本で全二冊と、かなりの長さがあり、私などは漢和辞典と古語辞典を使わねば読めないのですが、読みながら感じるのは、文語体の格調の高さです。戦後、日本が失ってしまった貴重なものの一つが、文語体の美しさ、格調の高さであると常々思っていたのですが、そのきっかけの一つが、以前、青年塾から頂いた教育勅語の写しでした。

朕惟フニ 我カ皇祖皇宗 國ヲ肇ムルコト宏遠ニ コヲ樹ツルコト深厚ナリ
我カ臣民 克ク忠ニ 克ク孝ニ 億兆心ヲ一ニシテ 世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ
教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス

日本という国の歴史と理想について、拝読しながら思いを馳せると同時に、尋常小学校で祖父や伯父も実際に学んだかと思うと、私のような若輩でも、国民としての自覚、愛国心がおのずから芽生え、背筋の伸びる思いがして参ります。そしてまた、文語体の文章に共通して感じるのは、簡潔にして格調高き美しさ、現在の口語では、同じことを言おうとしてもどうしても冗長・冗漫の感を拭いきれないがために尚更痛感するところの品格であります。

翻って現在を振り返ると、英語教育が国語教育よりも重視され、英会話がもてはやされ英会話学校が乱立し、日常生活どころか法律や公文書にまで外来語のカタカナが氾濫して久しく、まるで米国の植民地かと忸怩たる思いがいたします。国際語として現在通用している英語が不必要だとは申しませんし、文語体を現在の日常の日本語に復活させようとも申しませんが、漱石や鴎外が中学校の国語の教科書から消え、国語の授業時間数が減っている現状はやはり嘆かざるを得ません。
学生時代の不勉強が祟ったとはいえ、数十年前の日本語の文章を読むのに苦労している三十代の私には、さらに若い世代が、歴史の遺産としての古典、文学作品や数々の文献に、果たしてどれだけ親しんでいけるのか、旧仮名遣いを見るだけ敬遠してしまう世代がますます増えはせぬかと心配になります。
せめて私としては、これからの日本語そして日本と言う国のためにも、歴史の中で積み重ねられてきた日本語の素晴らしさをこれからの世代に伝えていかれるよう、現場で頑張ってらっしゃる国語の先生方を応援し、私自身、国語や歴史を通して精進していく所存です。

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