世界の奇跡「天壌無窮」の神勅
(平成17年)

元高千穂商科大学教授

名越二荒之助

2月11日が「建国記念の日」に定められたのは、昭和41年であった。「建国を偲び、国を愛する心を養う」というのが、その主旨である。政府としては、今年も祝賀行事を行わないと聞いているが、各地では催行されるところが多い。これら自発的行事では神武建国の大詔、一部には「八紘為宇」の詔と呼ぶ一節、すなわち「上は乾霊の国授け給ひし徳に答へ、下は皇孫の正を養ひたまひし心を弘めむ。然して後に、六合を兼ねて都を開き、八紘を掩ひて宇に為むこと、亦可ならずや」が奉唱され、「雲にそびゆる高千穂の」で始まる「紀元節の歌」が合唱される。
私には、この大詔とともに、小学校の修身教育書の巻頭に掲げられていた「天壌無窮」の神勅のことが忘れられない。
「豊葦原の瑞穂の國は、是、吾が子孫の王たるべき地なり。爾皇孫、就でまして治せ。行昊。宝祚の栄えまさむこと、当に天壌と窮り無かるべし」
この御神勅に明示されているように日本は2665年どころではない。「ああ悠遠の神代より続き」これからも続く悠久の国なのである。
世界史上千年王国を非求した国は多い。いやすべての王朝が「天壌無窮」を悲願とした。有名なところでは秦の始皇帝、第三帝国を夢見たヒトラー、マルクス・レーニン主義による共産帝国。これらは長い歴史からすれば線香花火の様なものだった。すこし長いところでローマ帝国、漢、唐、清等に見る支那帝国、隣国の新羅、高麗、李氏朝鮮等々いずれも百年単位で滅亡している。ひとり日本だけが「天壌無窮の神勅」通りのことが継承されてきた。まさに「世界の奇跡」であり文化的「世界遺産」である。なぜそうなのか。ここに日本の神秘があり、我々が取り組むべき「応用問題」「世界的使命」があるのではないか。

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