英霊は靖國の森に何を思う
全国民のついている大嘘
(平成17年)
元高千穂商科大学教授
名越二荒之助
板垣正会長は、英霊にこたえる会の指導者であり、「英霊の心を心にして」頑張っておられる。私たちも後に続いている。私の場合、小学校時代の優位jんの3分の1が戦死し、中学校の友人の4分の1が戦死している。私はそれらの戦友の4倍も長生きして何らなす所なくて本当に申し訳ない。
ある戦争未亡人が謳っている。
かくばかり みにくき国に なりたれば 捧げし人の ただに惜しまる
遺族にとって、経済的に豊かになったことが何程のことであろう。それよりも「地球よりも重い」という命を捧げた英霊への感謝の心を忘れ、外圧に屈して愚かな内輪ゲンカをする日本の姿を見ることが悲しい。私は靖國神社に参拝したら、「かくばかりみにくき国」になったお詫びの方が先に立つ。
考えても見られよ。肝心の天皇陛下が参拝されない靖國神社が考えられようか。陛下の煥発された宣戦の詔書によって戦い、「天皇陛下万歳」の絶唱と共に戦死したのだ。靖國神社の祭主は天皇であって、宮司ではない。私はそう思っている。
陛下の御親拝を頂くには、首相の参拝が平常化しなければならない。そのため元気のよさそうな小泉首相が、8月15日に参拝することをあれほど公約していた。ところが、中韓からヤイヤイ言われたら、13日に変更してしまった。これなど公約違反だけではない。英霊への冒涜ではないか。そして相も変わらず奇怪なる「村山談話」なるものを踏襲して、日本の戦争を侵略戦争と断定し、謝罪を繰り返す。大部分の教職者も、マスメディアも相変わらず「侵略用語」と使う。侵略戦争のために戦った日本人は一人もいなかったのに、全国民が多嘘をついているのである。
英霊は靖國神社から去った
霊感の鋭い私の知友がいう。「英霊はこんな姿に愛想を尽かして、靖國神社から去ってしまった。」
それではどこに行ったのか。イラクをはじめ自衛隊が活躍している海外だ。そこで天かけりながら、隊員を見守っている。隊員は軍人精神を忘れていないから、部隊の規律といい、献身ぶりも世界の軍人の模範として尊敬されている。
戦後日本では帝国軍人の横暴や自惚れる様子しか報道しなくなったが、もともと世界で最も規律厳正で、尽忠報国精神に燃えていたのは、わが帝国軍人であった。玉砕的敢闘といい、特攻隊の出現といい、世界の戦士に見られない勇戦ぶりは、誰もが認めるところだったのである。
英霊の怨霊を忘れるな
もう5・6年も前のことになろうか。最愛のわが子が戦死した年老いた父親が私にこう漏らされたことがある。
「名越さん、日本には怨霊信仰というものがありましてな、負けたり、非業の死を遂げた人々は特に大切にお祀りしなければ「祟りがある」と信じられたんです。
国譲りの時、最後まで抵抗して敗れた建御名方神(たけみなかたのかみ)は、諏訪神社として全国で5千社以上に祀られています。神社の数でいえば、勝った方の武御雷命(たけみかづちのみこと)や経津主命(わつぬしのみこと)よりも遥かに多い。
また菅原道真は讒言によって失脚し、大宰府に左遷され、無念を残して死にました。彼を祭神とする北野天神・天満宮は、全国に1万社以上あり、今も学問・受験や、冤罪を晴らす神として、篤い信仰を受けています。
また源義経の「判官びいき」は極めて日本的で、兄頼朝以上に各地で祀られています。
こういう信仰はその後の戦国時代に受け継がれ、日清・日露・大東亜戦争と続きました。特に大東亜戦争は惨憺たる敗戦でした。すると戦死者を「犬死」と蔑み、「だまされて駆り出された哀れな犠牲者」と言い、「侵略者帝国主義者の手先」のように軽侮される始末でした。そして英霊の神鎮まる靖國神社を紛争や裁判の対象にする始末です。英霊は怨霊となって祟る、と感ずるのは、自然ではありますまいか。
戦後若者達が全学連などという狂気の集団になったり、現在は小・中学生まで殺人事件を突発させます。これは若くして戦死した英霊達が、日本人の目覚めを促し、強い反省を求めるべく、このような形をとらせているとしか、考えられません。
もし我々が怨霊の働きに気づいて全国民がそろって靖國の神々にお詫びし、外国からの干渉にひるまず、天皇も政治家も自由な姿で堂々と靖國神社に参拝し、危機に臨んで英霊の後に続く事を誓ったら、怨霊はやがて静かに靖國の森に回帰するに違いありません。学生や生徒も、国家民族にとって最も尊い価値とは何かに気づいて、勉学にいそしむようになることは必要です。」