大東亜戦争のダイナミズムを再思し世界に発信しよう
(平成14年)

元高千穂商科大学教授

名越二荒之助

サッカーと大東亜戦争

聖戦大碑に「大東亜大みいくさ」とあるように、大東亜戦争は文字通りスケールの大きい大戦争であった。それだけに深刻な民族体験と教訓が秘められている。それがいかに巨大なものであったか。最近の例で較べてみよう。
今年の6月、サッカーのワールドカップで日本人は燃えた。若者は勿論、自民党から共産党まで一致団結して応援し、日の丸を振って「ニッポン」を連呼した。たしかに全国民が熱狂した。といってもサッカーは単なる「ボール蹴り」に過ぎない。勝っても負けても国家の運命とは関係ない。
それに対して大東亜戦争は国家の命運を賭けた必死の戦であった。緒戦の大勝利に日本国民がいかに熱狂したか。サッカーのサポーターのように派手なパフォーマンスはなかったが、米・英・蘭の植民地を一挙に撃滅した時、朝鮮人・台湾人からも軍隊に志願者が殺到した。アジア・太平洋のみならずアフリカに至るまで、歓呼の波が広がった。サッカーの昂奮とは較べものにならなかった。

同時多発テロと大空襲

昨年9月11日、ニューヨークとワシントンで同時多発テロが起こった。「犯人」は予告もせずアメリカの一つの象徴である貿易センタービルとペンタゴンに突入し、民間人約3,000人を殺した。アメリカは怒って真珠湾奇襲を連想する者があった。しかし真珠湾攻撃では軍事施設のみを担い軍人の戦死者は1,700人、民間人の犠牲者は若干名に過ぎなかった。
それよりもヒドかったのは東京空襲であった。昭和20年3月10日には、一晩で10万人の女子供を焼き殺した。東京ばかりではない。全国の都市約100か所、広島、長崎を含めて52万人(厚生省調べ)を焼き殺した。アメリカはニューヨークの同時多発テロの170倍の暴挙を行った。小泉首相はそのことに触れることなく、アメリカに協力を約束した。

北朝鮮の拉致とソ連の抑留拉致

実数は不明だが、北朝鮮は日本人を拉致した。20数年間事実をかくし、最近に至って8人の死者を冷酷にも通告してきた。日本人の怒りは沸騰し、北朝鮮の国家犯罪を追及し、死亡に至る詳細の報告を求め、補償要求を求める声が高まった。たしかに北朝鮮の悪辣さは天人ともに許すことはできない。
それでは今から57年前にやったソ連の暴挙はどうなのか。ソ連は日ソ中立条約を犯しアッという間に、満洲・樺太・千島を侵略した。民間人の犠牲は40万人を超える。さらにポツダム宣言に反して日本軍人60万人を拉致し、6万人を死亡させた。この国家を挙げての大犯罪に対して補償要求もできず、北方四島も盗られたままで泣き寝入りである。抑留に対するソ連の謝罪と言えば、エリツィンが来日した時、記者団の前で1分間の黙とうをしてみせただけである。

以上、最近の例を三点挙げたが、これらの事実を、大東亜戦争のスケールに比べたら「子供だまし」のようなものである。昭和の日本人がいかに大きな業績と体験を重ねてきたか。
聖戦大碑を建てるに当って中田実行委員長の尽力は想像に余りある。これをいかに維持し、碑に盛られた精神をいかに相続し普及発展させてゆくか。そのために「大東亜青年塾」が作られた。この塾を今後いかに発展させるか。複雑多岐な昭和の戦争を広い視野と長期的尺度を持って世界の人々に発信しなければならない柔軟な発想能力を鍛え、大東亜戦争の世界史的意義を浮かびあがらせたいものである。どこから取り組むべきか、実込んだ話し合いをしたいものである。
祖国への愛と感激と誇りを忘るな

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