平成28年度 大東亜聖戦祭の御挨拶
(平成28年)

大東亜聖戦祭実行委員長

諸橋 茂一

大東亜聖戦祭の実行委員長を仰せつかっております諸橋でございます。
皆様、本日は猛暑の中を「大東亜聖戦祭」に御参加頂き誠に有難うございます。心より厚く御礼を申し上げる次第でございます。

昨年、前実行委員長であり、この「大東亜聖戦大碑」を完成させる一番の中心人物でもあった中田清康様がお亡くなりになられました。中田様の安らかなる御冥福を皆様と共に衷心よりお祈り申し上げたいと思います。

その次に、当会の田母神俊雄会長の件に関してお話ししなくてはいけません。皆様も御承知のとおり、田母神俊雄会長は、去る4月14日、不当に逮捕され、不当に長期拘留され、そして、不当に起訴されて、現在裁判が継続中であります。東京裁判が描いている、「田母神俊雄と島本が共同謀議、共同正犯として、運動員等にお金を配った」としているのは正に作り話であります。私が証人に立ってその事を立証するつもりでおります。何としても田母神俊雄会長の無罪を勝ち取るために全力を尽くしたいと考えております。また、7月12日には、「田母神俊雄氏を支援する会」を立ち上げました。年会費は1万円となっておりますが、ぜひご入会いただきたいと思います。入会申込書は受付にございます。

私ごとではございますが、私には高校1年生を頭に12人の孫がおります。それらの孫達の中で、小学1年生の孫が、つい先日、担任の先生から、この様な事を教わったそうであります。
「日本が悪い国だったから、全国の都市に空襲を受けて、日本が悪かったから、日本が(アメリカに)誤ったのです。」と教えられたそうであります。・・・・・・あまりにも酷い教育と言わざるを得ません。
真実の歴史を勉強すれば、我が国が何故闘ったのか?我が国が何故戦わざるを得なくなったのか?我が国はどう戦ったのか?我が国が実に甚大な犠牲を払って戦った事が、人類史、世界史に一体どの様な貢献を果たしたのか?という事は、誰でも分かります。しかし、誠に残念ながら、我々日本人は、戦後長期間に亘り、真実の歴史を教えられてきませんでした。

日露戦争が終結した翌年、明治39年(1906)、米国は、我が国を仮想敵国とした「オレンジプラン」を策定し、それをその後、幾度も見直しを重ねて居りました。大正3年(1924)、米国は「排日移民法」というとんでもない日本人並びに日系人迫害法を作り、日本人並びに日系人の迫害をはじめました。昭和14年(1939)7月26日、米国は「日米通商航海条約」の一方的破棄通告をしてきました。つまり、米国は「真珠湾」の2年半前に、我が国に対して「経済断交」を突き付けて来たのであります。その11年前、1928年12月8日、米国のケロッグ国務長官は、米国上院において、「経済封鎖は戦争行為である。」 と演説しておりました。つまり、米国は確信犯的に、「真珠湾」の2年半前、我が国に対して戦争の意思を明らかにしていたと言えるのであります。そして、昭和15年(1940)9月26日、米国は我が国に対して「屑鉄」を禁輸致しました。当時の我が国は「鉄鋼」製造のために屑鉄を必要としていました。つまり、その屑鉄を米国からストップされたら、我が国は鉄鋼を造ることが出来なくなってしまう。その様な状況に追い込まれたのであります。また、昭和16年(1941)7月18日、米国陸海軍は、フランクリン・ルーズベルト大統領に対して「JB−355計画」を提出し、同年7月23日、ルーズベルトはその計画にOKのサインをしておりました。その計画とは、「米国が、中国に戦闘機350機と長距離爆撃機150機、計500機を送り込んで、東京を含む日本の主要都市を無差別空爆する」というものでした。ところが、ヨーロッパ戦線、風雲急を告げるという状況となったために、その計画は一旦中止となりました。しかし、その後、米国は改めて、「フライングタイガース」と呼称した、約100基規模の空軍戦闘機部隊を中国に送り込み、同年の10月20日、つまり「真珠湾」の約1ヵ月半前に日本軍に対して攻撃を開始していたのであります。

そして、更に米国は、昭和16年(1941)7月25日、我が国の「在米資産」を一方的に「凍結」してしまったのであります。それに、イギリスとオランダも追随しました。そして、同年8月1日、米国は我が国に対して「石油の完全禁輸」に踏み切ったのであります。それにも、イギリスとオランダが追随致しました。当時、我が国は約80%の石油を米国から買っていました。つまり、我が国に石油が全く入ってこない。その様な状況に追い込まれたのであります。そして、更にとどめを刺す様に、同年11月26日、米国は我が国に対して実質上の宣戦布告書であった「ハル・ノート」を突き付けて来たのであります。
我が国はそれまで、何としても「開戦」を避けるために、米国に対して「甲案」「乙案」という大きな譲歩案を提示するなど、実に涙ぐましい努力を続けてきました。ところが、最初から我が国を戦争に追い込む計画であった米国は、「政治的」「経済的」両面において、我が国を徹底的に追い込み続けたのであります。そのために、我が国は大きな苦悩の末に、我が国を守る為と、我が国の存亡をかけて、合わせて、長期間欧米の植民地となっていたアジア諸国を解放する為に、「大東亜戦争」と呼称することになった大戦を戦ったのであります。

るまり、大東亜戦争は、我が国が米国から長期間に亘って、政治的、経済的、軍事的に追い詰め続けられて、我が国が国家存亡のために、やむなく立ち上がり自衛のために戦った戦争でした。そして、そのことは、昭和26年5月3日、マッカーサーが米国上院の軍事外交護同委員会で、「・・・従って、日本が戦ったその多くは日本の自衛のためであった・・・」(Their purpose,therefore,in going war was largely dictated by security)と証言したとおりであります。それを我々日本人の多くが知らずに、「我が国は侵略戦争をしたのだ」という真逆の、全く逆の歴史観を植え付けられてしまっているのであります。
何としてでも我々日本人は真実の歴史を取戻し、日本人としての自信と誇りを取り戻さねばなりません。

戦後は、勝てるはずのない無謀な戦争を引き起こした、当時の我が国の指導者は実に無能な人間ばかりであったかの様なイメージを植え付けられてしまっております。しかし、その様な味方は、6年8ヶ月に及んだ、米国を中心とするGHQの日本並びに日本人弱体化占領統治政策並びに日教組による変更自虐教育及び、多くのマスコミの間違った報道によるものであります。

実は、「大東亜戦争」開戦時における、我が国と米国太平洋艦隊との戦力差は、我が国の方が上回っていたのであります。ちなみに、開戦時における、我が国の空母は10隻、それに対して、米国は3隻、駆逐艦の数は我が国が112隻、米国は84隻、潜水艦の数は、我が国が65隻、米国は30隻でした。戦闘機の数は双方共に約5,000機でした。しかしパイロットの技量は平均的に我が国のパイロットの方が米国のパイロットよりも上回っており、我が国の軍人の士気も平均的に米国の軍人よりも上回っておりました。ですから、開戦から約半年間は正に連戦連勝でした。

昭和16年(1941)12月8日、「真珠湾攻撃」は我が国の一方的な勝利となりました。決して我が国が奇襲攻撃をしたからではありません。米国の中枢部は、我が国が真珠湾攻撃をする事を暗号解読によって分っていました。しかし、日本海軍の方が強かったから真珠湾で大勝利を収めたのであります。しかもその真珠湾攻撃と同じ日に、我が国の陸軍、酒井隆中将率いる第23軍は、香港に上陸し、同年12月25日に香港を制圧、山下奉文(ともゆき)中将率いる第25軍は、同じく同年12月8日、マレー半島に上陸し、約2.5倍のイギリス相手に大小96回の戦闘を重ねて、翌年、昭和17年(1942)1月31日、マレー半島を制圧、更に、同年2月9日、シンガポールに上陸、2月15日にはシンガポールを制圧、同じく昭和16年12月8日、本間雅晴中将率いる、第14軍は、フィリピンに上陸、翌年の1月2日、マニラを占領、同年5月10日、フィリピン全土を制圧致しました。同時進行で、昭和17年3月1日、今村均中将率いる第16軍は、インドネシアのジャワ島に上陸、3月9日には、350年間インドネシア植民地支配を続けたオランダを制圧致しました。開戦から約半年間、日本軍は正に破竹の快進撃を続けたのであります。

処が、誠に残念ながら、我が国は昭和20年8月15日、敗戦を喫しました。開戦後、約半年間は正に連戦連勝であった我が国が何故負けたのか?その敗戦の敗因分析、検証、総括が我が国は国家として未だなされておりません。早期に、真剣に、大東亜戦争の敗因分析、検証、総括を成すべきであります。そして、それらを後世にしっかりと活かして行くべきであります。我が国が甚大な損害を払って「大東亜戦争」を戦った事が、長期間続いた、欧米の植民地支配に終止符を打ちました。当時、欧米相手に戦う力を持っていた有色人種の国は我が国以外になかったのです。「大東亜戦争」開戦時における世界の独立国家は約60ヶ国でした。それが、今は国連加盟国だけで193ヶ国となっております。我が国が欧米相手に「大東亜戦争」を戦った結果、直接、間接に世界の植民地が解放されました。
我が国が、直接、間接に世界の植民地を解放したのです。我が国は敗れはしましたが、「世界の植民地解放」という実に偉大な事を成し遂げたのであります。世界の多くの識者がその様に評価しております。以上の内容は、受付で発売しております、拙著「日本が世界の植民地を解放した」に詳しく記してございます。

我が国を守る為と、アジアを解放する為に戦われて戦死された、我々の父祖の方々の「尊い死」は決して無にはなっておりません。
大東亜戦争を戦われて戦死された多くの先人の方々と中田清康前実行委員長の安らかなる御冥福を衷心よりお祈りいたしまして、本日の御挨拶と致します。御静聴、誠に有難うございました。  合掌

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