平成27年度 大東亜聖戦祭の御挨拶
(平成27年)

大東亜聖戦祭実行委員長

諸橋 茂一

皆様、本日は大変お忙しい中、全国各地より「平成27年度大東亜聖戦祭」に御参加頂き誠にありがとうございます。心より厚く御礼を申し上げる次第でございます。
また、平素は「大東亜聖戦大碑護持会」の運営に多大な御協力を賜り誠にありがとうございます。重ねて心より厚く御礼を申し上げる次第でございます。

さて、皆様も御承知のとおり、平成7年8月15日、全く近代史の勉強をしていない村山富市元首相が発表した所謂「村山談話」では、わが国は侵略戦争と植民地支配をした悪い国であるということになっております。ところが、小生が平成19年3月29日、その村山富市元首相を相手取り、「村山談話」の正当性を問うて東京地裁に提訴し、最高裁まで争った裁判の中で、村山富市元首相は、自分が発表した「村山談話」の正当性を唯の一言も説明できませんでした。自分が発表した「村山談話」の正当性を発表した本人が全く説明できない、その様にいい加減なものをその後の内閣が全て「踏襲」してきていることは実に馬鹿げたことと言わざるを得ません。「河野談話」も全く同様であります。

平成に入ってから最も良い首相であると思われる現安倍首相でさえも、同「村山談話」並びに「河野談話」を受け継ぐといっております。今月、「安倍談話」が発表されるようでございますが、もうその様にいい加減な「村山談話」並びに「河野談話」から脱却した、しっかりした歴史観、国家観に基づいた内容のものを発表してもらいたいと願うものでございます。「村山談話」と「河野談話」がわが国の国益と父祖の方々の名誉と誇りをどれだけ貶め続けてきたか計りしれません。真面目に近代史の真実を勉強すれば、「村山談話」と「河野談話」が如何に出鱈目なものかは誰でも理解できます。

「ニューヨークタイムズ」「ロンドンタイムズ」「フィナンシャルタイムズ」の元東京支局長、ヘンリー・ストークス氏が、同志の著書「目覚めよ!日本」の中で、この様に述べております。

「先の大二次大戦で、日本がアジアに軍事進攻した・・・その事によって、アジア全土に展開していた欧米の植民地を一挙に占領した。そして・・・白人には勝てないと思っていた、アジアやアフリカの諸民族に独立への気概と勇気をもたらした。日本は世界史に、大きな役割を果たしました。」
「・・・これは日本の偉業でした。」
「朝鮮人にハングルを教え、識字率を高めたのは日本でした。」
「・・・占領下で基本法である憲法を強制することは明らかな国際法違反です。・・・」
「アジア諸国の欧米による植民地支配からの独立は、日本の信仰によって初めて可能となりました。これは、厳粛な歴史の真実です。日本の軍事力があったから、はじめて成し遂げられたのです。」
「アジアを植民地支配する欧米勢力を追っ払い、アジア諸民族を独立させることが、日本の戦争目的でした。」
「もちろん、第一義的なその目的が、アメリカの圧迫に耐えかねた、(日本の)自衛のための戦いであったことは言うまでもありません。」
「日本が海外で誤解されている、その立場が正しく認識されていないのは、日本が効果的な発信をしていないからです。」
「東京裁判は・・・復讐劇でした。マッカーサー劇場と呼んでもいい。・・・」
「『南京大虐殺』というデマをでっち上げたのはアメリカだった・・・」
「・・・(インド独立の父と言われている)チャンドラ・ボースは、『日本はアジアの希望の光だった』と、ハッキリ語りました。」
「パリ講和会議における、日本・・・の人種差別撤廃提案は『日本民族の祈り』だった・・・」
「ザビエルは・・・『この国(日本)の人々には教化することが何もない。彼らは、キリスト教国が、何百年もキリスト教を実践して、達成できないでいる美徳を、すでに持っている』と、実感しました。」

その本に記されている事の全てをこの場で御紹介することは出来ませんが、イギリス生まれのヘンリー・ストークス氏でさえも、真剣に勉強を続けられて、この様に正しい歴史観をもっておられるのです。ましてや、日本人ならば、真剣に真実の歴史を、特に真実の近代史を勉強すれば、ヘンリー・ストークス氏と変わらない歴史観をもつ事は容易いことであるはずです。しかし、誠に残念ながら現実はそうではありません。それは一体何故なのか?それは、戦後、日本人が長期間に亘って真逆の教育と真逆のマスコミ報道を受け続けているからです。わが国の教育とマスコミ報道を何としてでも正常化しなくてはなりません。

昨年、私は、マレーシア、シンガポール、ベトナム、ミャンマー、インドネシア、パラオ共和国へ、戦跡巡りに行ってきました。それらの全てを語ることは時間的に出来ませんが、それらの一部を御紹介したいと思います。

昭和16年12月8日、山下奉文(ともゆき)中将率いる第25軍は、マレー半島の北部、シンゴラとコタバルに上陸し、日本軍の2.5倍の戦力であったイギリス軍とオーストラリア軍相手に激戦を続けました。96回の戦闘を繰り返して、昭和17年1月31日にはマレー半島最南端、ジョホール・バルを制圧しました。そして、同年2月9日にはシンガポールに上陸し、2月15日には『東洋の要塞』と呼ばれたシンガポールを制圧してしまったのです。また、しょうわ17年3月1日、今井均中将率いる第16軍はインドネシアのジャワ島に上陸し、何と3月9日には、350年間、インドネシア植民地支配を続けたオランダを制圧してしまいました。各地で、日本軍は神の軍隊と思われたのです。
昭和19年9月15日、パラオ共和国のペリリュー島に、約49,000の米軍が攻撃を加えました。それを迎え撃ったのは、中川州男大佐率いる日本軍約11,000。多勢に無勢、戦力で圧倒的に日本軍を上回っていた米軍は、当初、「こんな小さな島は3日もあれば落とせる」と甘く考えていましたが、日本軍は77日間も勇戦を続け玉砕しました。しかも、日本軍は、その戦いが始まる約4カ月前に、民間人は全員安全なパラオ本島に避難させて戦い、民間人の死傷者は全く出しませんでした。

日本軍は最終的に敗れはしましたが、実に強くそして立派でした。我々現代に生かされている日本人は、「大東亜戦争は如何なる戦いであったのか?」を後世に正しく伝えていかねばなりません。その為にもこの大東亜聖戦祭を継続して行かねばならないと念じております。今後とも変わらぬ御協力を賜りますよう、衷心よりお願い致しまして、私の御挨拶とさせて頂きます。
本日は誠に有難うございます。御静聴、誠に有難うございました。







HOME