西郷南洲遺訓に学ぶ
(平成19年)

弁護士

南出喜久治

西郷隆盛公は至誠の人である。
「もう一度、維新をやり直さなければならない」と言って汚官派の放逐を決意して維新回天の創業を目指した隆盛公の夢は、井上馨、山形有朋らの貪官汚吏とこれに与する岩倉具視、木戸孝允、大久保利通の謀略による明治六年政変で挫折した。
「然るに草創の始めに立ちながら、家屋を飾り、衣服を文り、美妾を抱へ、蓄財を謀りなば、維新の功業は遂げられまじきなり。今と成りては、戊辰の義戦も偏へに私を営みたる姿に成り行き、天下に対し戦死者に対して面目無きぞ」(南洲翁遺訓)と落涙し、戊辰戦争における会津藩や奥羽越列藩同盟の各藩の義挙を凌駕するだけの国家道義の確立による維新回天を達成できなかったことを胸に刻み、その非力を詫びながら、隆盛公は、城山において、厳然と端座し禁闕を遙拝して瞑没した。この遺訓には、靖国神社における官賊差別を超越し、歴史の再評価と「防人神社」の送検へと導く光がある。


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