現行憲法無効宣言
弁護士
南出喜久治
昭和21年11月3日に公布され、同22年5月3日に施行された現行憲法は、去る平成8年11月3日で公布50周年目を迎え、さらに、平成9年5月3日で施行50周年目を迎えました。
巷では、これを奉祝する動きがありましたが、この現行憲法の制定は、東京裁判(極東国際軍事裁判)の断行と並び、日本解体を企図したGHQの占領政策における車の両輪とも云うべき二大方針として敢行され、日本国家と帝國憲法を「悪」とし、連合国とその草案にかかる現行憲法を「善」と決めつけた徹底的な洗脳と恫喝の結果であることは、今や疑う余地のない歴史的真実であります。
東京裁判については、これが国際法に違反する無効な裁判である事は国際社会や国際法学者の間においても定着した考えとなりました。
ところが、現行憲法についてはどうでしょうか。この憲法の矛盾は日増しに増幅されて、社会・政治の混乱と道義・教育の荒廃は目に余るものがあり、その元凶がこの憲法であることは周知のとおりであります。
ポツダム宣言における日本軍の無条件降伏条項(第13項)と武装解除条項(第9項)は、それぞれ現行憲法第9条第2項後段(交戦権否認)と同項前段(戦力不保持)の各規定にそのまま承継されているため、現行憲法が有効であるとする説を前提とすれば、自衛権は確実に「違憲」の存在であります。これは、有効説による必然的帰結であるにもかかわらず、詭弁を用いて「合憲」と主張する人々がいます。現行憲法は、「非武装・非独立」の日本において、ポツダム宣言と降伏文書を憲法的に反映しようと企図したものであり、「自衛権」そのものを「否定」したことは明らかです。
しかし、国防上の要請から、自衛隊が「必要不可欠」であるとの認識は正当です。
しかし、だからと言って現行憲法からすれば「合憲」ではないのです。現行憲法を有効とする限り、自衛隊はあくまでも違憲の存在です。
この点は、反日主義者の論理(現行憲法の論理)が絶対に正しいのです。有効説に立つ限り、反日主義者の論理の方が道義的であり、「合憲論者」は明らかに反道義的であります。
現行憲法を有効としながら自衛隊を合憲とするような厚顔無恥な詭弁こそが、日本の伝統的な動議を頽廃させ教育を荒廃させてきたことは明らかです。憲法をまもらない大人の言いつけを子どもが守るはずがありません。
憲法第9条と自衛隊の関係、憲法20条と靖國神社の関係の諸問題などは、今までの誤魔化しにも似た小手先の解釈論では通用しなくなってきました。
平成9年4月2日の愛媛県玉串料訴訟最高裁判決は、國體的見地からは絶対に承服できないことではありますが、現行憲法的見地からは残念ながら承認せざるを得ません。神道弾圧・靖國否定の神道指令を前提として現行憲法第20条が生まれたという沿革があるにもかかわらず、最高裁は、よく今まで憲法解釈をねじ曲げてまで國體護持のために頑張ってくれたが、遂に力尽きるときが来てしまったと、その努力を労ってやるべきでしょう。
この憲法を批判する人々は、憲法9条で黒い烏を白いとしたのと同様の詭弁をもって憲法第20条についての特異な解釈論を展開し、さらに、現行憲法を無効であると主張する勇気もないのに、単に、占領憲法だとか、押し付け憲法だとかいう批判を徒に展開します。しかし、現行憲法を有効とする限り、そんな批判は誠にもって見苦しい限りです。仲が悪く、さりとて離婚する気持ちもない夫婦が、いつも喧嘩の際に昔話の愚痴を言って罵り合うにも似た醜い姿です。無効を主張することもせず、負け犬の遠吠えのように、この憲法の成立過程にケチをつけ悔し紛れに揶揄することは、法の支配や法治主義の理念からして許されるものではありません。成立過程に問題があっても、結果的に有効と判断するのであれば、現行憲法を軽んじて厳格な解釈をしないのは、却って国民の遵法心を低下させ道義を頽廃させます。厳格な解釈を行えば、一般庶民の感覚からして、現行憲法を前提とする限り、自衛隊を「軍隊」でないと言い切ることはできません。また、「宗教法人靖國神社」として存在しているのに、「宗教」でないと言い切ることもできません。
では、この矛盾をどのようにすれば解決できるのでしょうか。
有効説に建つ限り絶対に解決はできません。しかし、無効説に立つことによって、一挙にすべてが解消します。それ以外に解決の道はありません。絶対無効論によってのみ道義に悖らずに自衛隊を合憲(帝國憲法に適合する)とすることができ、国軍として認知できます。
また、第9条だけではなく、教育、宗教、その他現行憲法の多くの矛盾も悉く解決できる指針を与えてくれるのです。
現行憲法の制定過程に関する秘密資料が公開されればされるほど、この憲法の制定過程に重大な問題が含まれていることが明白となり、憲法学者の間ではこの有効性について真摯に論議されなければならない状況であるにもかかわらず、これを全くタブー視して黙秘を続けています。今まで、現行憲法の無効性と矛盾点を指摘された先覚的な学者もいましたが、時代の趨勢により、殆ど姿を消していきました。その理由は、現在の憲法学が、国法学や國體学を含まず、専ら現行憲法解釈学に陥っていますので、憲法学者が現行憲法の無効性を展開することは、今までの無効の憲法の条文解釈を学生に教えてきたことの責任に押しつぶされてしまうからです。
このことは、いわゆる進歩的文化人や公務員にとっても同様です。憲法を否定するような進歩的文化人はメディアから遠ざかってしまい、公務員も憲法尊重擁護義務(現行憲法第99条)に違反するとして失職するからです。
これは、GHQ占領政策の残した、いわば「帝國憲法の踏み絵」といえる存在なのです。
これに対して、東京裁判については、これが過去の事実であり、現行憲法の解釈や日常生活とは直接関係がありませんから、これを無効であると主張して「踏み絵」を踏んでも、その社会的地位に何ら影響を及ぼさないからです。
しかし、本当に、東京裁判は過去のものと言い切れるのでしょうか。確かに、東京裁判は、歴史的事実としては過去のものですが、それから発生した「東京裁判史観」なるものは現行憲法と同様に現在の社会を支配しているのです。東京裁判史観も現行憲法も共に「現在性」があるのです。
したがって、東京裁判を無効としながら、現行憲法だけは有効とする見解は、GHQ占領政策の評価に一貫性と統一性がなく、やはり、半分は反日的見解(半反日思想)であると言わざるを得ません。このような二重基準による分裂評価の考えでは真の日本の再生はありえないのです。
このように、現行憲法については、多くの欺瞞に包まれて、その無効性についての議論がなされずに今日に至った現実をしっかりと認識せねばなりません。
ところで、現在、現行憲法の矛盾を解消するために容易な改正論で切り抜けようとする動きがあります。
しかし、このような企ては、道義の退廃を隠蔽するのみならず、大きな禍根を残すことになります。「改正」を行うことは、現行憲法が「有効」であることを前提とするからです。ひとたび改正を許せば、國體が完全に破壊されます。現行憲法を破棄することこそ国家再生の王道であり刻下の急務なのです。
現に、現行憲法は木の政治的行動は、歴史的事実として前例がありました。現行憲法が無効であるとの政治行動を行った人々は、全て市井の国士です。たとえば、その中で刮目すべきは、昭和44年8月1日に、現行憲法の無効を宣言し、「大日本帝国憲法復元決議」を可決した岡山県奈義町の町議会の大快挙であります。我々もこれに続かねばなりません。そこで、去る5月3日の現行憲法施行50年目の節目に、東京の日本青年館中ホールにおいて、多くの有志により「現行憲法無効宣言集会」を開催して、現行憲法無効宣言を行い、「祓庭復憲」草莽崛起運動の狼煙をあげました。小さな第一歩ではありますが、この着実な足跡を契機として、署名運動を含む現行憲法無効宣言の国民運動を展開してまいります。
愚生も弁護士として現行憲法を根拠とし、民族の再生をめざして、平成7年6月9日に衆議院でなされた謝罪決議を違憲であるとして提起した訴訟やこの度の違法教科書訴訟などいくつかの憲法訴訟を担当しております。現行憲法を絶対無効であるとする論者が現行憲法を手掛かりに訴訟を行うことは、自己矛盾の極致と申せましょう。
しかし、「毒を以て毒を制す」との分別により不退転の決意をもって邁進する覚悟であります。御協力のほどお願い申し上げます。
(南出喜久治『現行憲法無効宣言』(萬葉社)より)