村山談話を葬れ
(平成21年)

堀岡 忠敏

勝者が敗者を裁くという、3歳の童子と雖も異議を唱えるであろう「極東国際軍事裁判」(以下・東京裁判)が二カ年半の長きに亘り行われた。
これを牛耳ってきた張本人のマッカーサーが三年後、米上院において、日本が大戦に突入した理由は自国の安全保障だたっと明言し、「大東亜戦争は、侵略戦争などではない」と認める決定的証言を行った。「侵略」とか「戦犯」といった濡れ衣は即刻、返上され、また史上から抹殺されて然るべき事は、ここに贅言を要するまでもあるまい。

そんな思いの折も折、「我が国が侵略国家だったなどというのは、正に濡れ衣である」という論文、しかもこの論文の執筆者が現役の田母神航空幕僚長であると知っただけに、久しぶりに「大和魂」の感動を覚えたのは、断じて私のみならんやである。
「日本の植民地支配と侵略によって、多くの国々、特にアジア諸国の人々に多大な損害と苦痛を与えた。痛切な反省の意を表し心からおわびの気持ちを表明します。」
というこの馬鹿げた「村山談話」を麻生政権に至るまで14回持続せしめているものは一体何か。
それは、細川政権以降、麻生政権に至るまで彼等の殆どは第二次大戦直後のベビーブームに生れた、いわゆる「団塊の世代」であり、彼等は日教組による徹底的な自虐史観教育を受け、今日もなお、東京裁判の正当性を信じ切っているがため、何を言われようとも、東京裁判に不正がある筈はないと思い込んできているからにほかならない。
従って、彼等の心の中には愛国心国家意識は皆無に等しく、心の中は、一国の存亡云々よりも保身に汲々の日々ではなかろうか。

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