大東亜聖戦大碑に思いを馳せ
―村山談話を破棄せよ―
(平成21年)

堀岡 忠敏

戦後の日本は、東京裁判の判決をベースにしての自虐史観認識が社会通念となって、今日に立ち至っているのであるが、東京裁判を仕組み、そして牛耳って来たマッカーサー自身が、東京裁判終結一年後の昭和26年5月3日、アメリカの最高意思決定機関の一つ、米上院の軍事外交合同委員会において、大東亜戦争は侵略戦争ではなかった、と次のように証言した。

「日本は絹産業以外には、国有の産物は殆んど何もない。彼等は綿も羊毛も石油、錫もゴムも、そのほか実に多くの原料が欠如している。そして、それらすべて一切がアジアの海域には存在していたのです。もし、これらの原料の供給が断たれたら、日本国内で一千万人から一千二百万人の失業者が出ていたでしょう。日本人は、これを恐れていました。従って、日本が戦争に突き進んでいった動機は、大部分が安全保障の必要性に迫られてのことだったのです」と。

細川政権が、平成五年「日本は侵略国」と断じたのは、戦後初めてのことである。
日本の総理大臣たる者が、自らの祖国日本を「侵略国」と蔑んだ心の底にあるものは、自らが歩んできた、古き良き心を通わせ合った大和心の国、日本と決別し、断絶した非情な姿である。
これこそ、日教組教育の成果であった。細川政権が倒れ、翌平成六年、自民党の政権欲から首相にならされた社会党の村山富市が平成七年、「戦後五十年に当っての首相談話」と称し、発言した「村山談話」なるものが、平成七年以来、臆面もなく展開されている現実に「お前は日本人か」と叫んで、その場に叩きつけたい衝動に駆られる。

「我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である」という田母神論文に対し、「村山談話」と内容が違うということで、麻生首相自ら防衛大臣に指示し、田母神氏を航空幕僚長を罷免退職せしめたその際、国会議場から一件の反論も出なかった、この愛国心なき国会の無様を垣間見て、私は只、唖然とせざるを得なかった。
これも日教組謀略教育の然らしむるところであるが、そんな教育を受けた輩の頭の中には愛国心もなければ、国を良くしようという一片の思いもない。
こんな日本に成り下がったのは、アメリカによる日本弱体化政策によるものであり、これを利用する中共の謀略浸透、又これに積極的に協力する報道・教育・出版と亡国文化人の輩である。まさに今日の日本は劣化謀略の巣となり下っている。

こんなご時世であるだけ、私は只ひたすら「大東亜聖戦大碑」に思いを馳せる限りない義憤は、今もなお消え失せることはないけれども、中天高くそそり立つ日本でただ一つ、いや世界でただ一つの「大東亜聖戦大碑」を仰ぎ見る時、かかる思いは、雲散霧消する。

精神的荒廃の甚だしい祖国日本の現状を見るに忍びず、あらゆる反対困難を克服し、日本の精神再生を願って建立された「大東亜聖戦大碑」も今年で建立十年、来年は第十回聖戦祭の節目を迎えるが、現在の日本において、侵略・南京・慰安婦の濡れ衣等と共に最も大切なことは「村山談話」を破棄することであると考えている。

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