進駐米軍の実態
(平成20年)

針生 俊

昭和20年9月2日の降伏文書調印から6日後、米軍の本格的日本進駐が始まった。その後、20年末の時点で約50万人が全国に進駐していった。

「上陸してきた兵は意外であった。一部に不祥事もあったが、全般に軍紀はよく守られ、明るく陽気なアメリカ人であった。」「歴史上存在した他のいかなる占領に比べてもアメリカが日本に対してよい占領をしたことは間違いないのである。」
(五百旗頭真)

「アメリカ軍の進駐は、歴史上はじめてのことだったので、日本人の間には恐怖にも似た感情があった。実際には噂ほどひどい状態ではなかったともいえる。」
(保坂正康)

しかし事実は、上陸後一ヶ月間に強姦事件だけで3500件(実際はこの何倍も)が起っていたという。婦女暴行を報道したNHKと同盟通信は即時に放送を禁止され、朝日新聞が最初の事務停止を受けた本当の理由は、強姦報道にあったといわれる。
(ドウス昌代)

更に別な学者はこうも言う。

「日本軍慰安婦の問題とアメリカ占領軍の日本人慰安婦問題を並べる人は、占領軍の慰安婦所を作るように命じたのは日本政府であり、慰安婦を集めたのは日本の警察であり・・・。」
(高橋哲哉・戦後責任論)

しかしこれも米国を庇い、自国のみを貶める常套の嘘である。なぜならGHQが日本側(RAA)の提供した慰安所だけでは満足せず、東京都衛生局課長、与謝野光(幹部・晶子の長男)を第一生命ビルの司令部に呼び出し次の如く命じているのが実相だからである。

軍医総監ウェブスター少将は言った。
「今東京に十万の米軍兵がいる。彼等の性の処理のために適当な場所を探したい。ついては君に協力してもらいたい。」「将校用とホワイト用、ブラック用と三ヶ所に遊ぶ場所を分けてくれ。」
こうして十万の米兵の性の処理のための場所が決められた。
(与謝野光 敗戦秘話より)

これは東京だけの例であり全国至る所に慰安所が作られた。パンパンになった女性には父や兄が戦死したり、空襲で家族や財産を失った人が多いことは、さまざまな調査で明らかにされている。

「治外法権の壁の向こう側で日々おこなわれている米軍の軍事裁判で、証拠不十分を理由として、暴行をはたらいた米兵に無罪の判決を下している。ここには日本人に対する人種的偏見と、日本人婦人を軽視する思想が露出している。米兵の多くは、この人種的偏見と日本婦人蔑視の思想の上にアグラをかいて、売春から強姦に至るまでの性的犯罪に興味を感じているのではないのだろうか。」
(神崎清 昭和28年、婦人公論)

これが当時の日本人のまっとうな意識である。
私は先に挙げた戦後の学者や知識人と称する者に、米国に対する卑屈な寛大ぶりと植民地人さながらの病的な思考回路の典型をみる。
そして全ての戦後の病根の大いなるものの一つがここにある。
現在、米国は北朝鮮に対してテロ支援国家の指定を解除した。日本は在りもしないこの様な国(米国)の善意に期待するような国になってはならない。
正義や前は自ら実現してゆくものであり、その覚悟なくして正義は向こうから歩いて来てくれはしないのである。
我々は敗北をいつまでも抱きしめていはしない。
求められた紙数も、とうに尽きた。機会があれば全国に最盛時(朝鮮戦争)十万を超えたパンパンと称せられた日本女性と慰安所、米兵の実態について、資料をもとに書かせてもらいたいと思う。




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