二つながら踏み越えて征くべし
(平成22年)
針生 俊
沖縄の基地問題が紛糾している。一見無関係の様な検察の動きも、恐らく此れと繋がっている。
鳩山首相の常駐なき日米同盟構想は、旧社会党の横路氏の発想であり、その安全保障の基本が「友愛による善隣外交」だとすれば、軍縮と譲歩によって、国益を損失し、したたかな他国を利して終った、かつての幣原外交の再来に堕するだけだろう。
我々は終戦後、フィリピンと共に米国を「解放軍」と信じ込まされた国である。当初コミュニストまでが米軍に協力した履歴を持っている。占領を受け入れた国は、政府機関やマスコミ等あらゆる組織が買弁化する。
今の検察の動きも、その例外ではなかろう。
当時、GHQとの結びつきいかんで、政党の政権獲得や政治家個人の浮沈が決まった。その買弁的傾向は、独立後も続いているのである。
同時にその半植民地根性と依存性は、国民一人一人の意識の内部に潜り込み増殖し続け、軽佻浮薄な根なし草的国民を作り、日本を内側から腐らせてゆくだろう。
「士は独立自信を貴ぶ。熱に依り炎に附くの念起すべからず。」(佐藤一斎 言志録)
外患を避ける為に他国の戦力を引き入れるのも、備えを捨てさってありもしない他国の善意にのみすがろうとするのも、戦後日本人の同根の病である。