憲法三原則の呪縛を断つ
(平成29年)

針原 崇志

緒言


現憲法施行から70年を経たいま、ようやく憲法改正が現実味を帯びつつある。現憲法は、わが国の自発的意思によって制定されたものではない。GHQによる占領期間中、わが国の弱体化を図る意図をもって、GHQに提示された原案をもとに制定させられたものである。したがって、これを改めて「日本の憲法」を取り戻そうというのであれば、大いに歓迎したいところである。

しかし、自民党の憲法改正草案を見てみれば、結局、GHQに押し付けられた価値観、すなわち、国民主権、基本的人権、平和主義の3つ、いわゆる憲法三原則を堅持した内容となっている。これでは安倍首相のいう「戦後レジームからの脱却」とはほど遠い、むしろ戦後レジームの追認と再確認、つまりは「戦後レジームの強化」のための改正といわざるを得ない。そのような改正ならば、むしろしないほうがマシである。

これに対し「(自民党憲法草案は)国民主権、基本的人権、平和主義、これは堅持するといってる。この3つは、マッカーサーが日本に押し付けた戦後レジームそのものだ。この3つを無くさなければ本当の自立自主憲法にならない」と、元自民党所属議員ながら自民党草案を喝破した長勢甚遠元法相の発言がインターネット上で波紋を広げている。しかしこの発言に賛同する意見はあまり見られず、否定的な意見ばかりが目立っている。

だが、非難している人々は、果たして憲法三原則なるものを本当に理解した上で非難しているのであろうか。単に学校教育の中で繰り返し刷り込まれ洗脳されたことで、重要なものと信じ込み、ろくに考えもせず脊髄反射的に反発しているだけではないのだろうか。

そこで以下、憲法三原則の意味内容を吟味し、わが国の憲法には不要なものであることを論証していくこととする。

ただ、平和主義についてはすでに諸賢の盛んに論じるところであり、あえて拙論を披歴するのも憚られるので、ここでは他の2つ、国民主権および基本的人権について論じたい。


国民主権


◆国民主権≠民主制◆


国民主権について、中学校の教科書ではこう説明されている。

日本国憲法の基本原理の一つである国民主権は、国の政治の決定権は国民が持ち、政治は国民の意思に基づいて行われるべきであるという原理です。(1)

このように、国民主権と民主制とを混同した説明がなされることが多いが、この両者は、あくまでも別次元のものと考えるべきであろう。

すなわち、こんにちの一般的な用法として、国民主権は、天皇主権や君主主権などと対比され、民主制は、専制や独裁制などと対比されることをふまえれば、国民主権は「だれに」国政の最高意思決定権が属するかという視点に重点が置かれているのに対し、民主制は「どのように」政治が行われるかという視点に重点が置かれたものといえよう。

したがって、必ずしも「国民主権=民主制」ではなく、国民主権でありながら独裁的な政治が行われることもあれば、君主主権でありながら民主的な政治が行われることもありうるのである。

諸外国の実例を見てみたい。

英『エコノミスト』誌傘下の研究機関による調査、2016年度版の「民主主義指数」(Democracy Index by country 2016)(2) によれば、調査167ヶ国中19ヶ国が「完全な民主主義」(Full democracies)と評価され、うち10ヶ国が国王・大公を元首とする君主国だったが、そのなかで、憲法上国民主権を明記している国は、わずか3ヶ国にとどまる(スウェーデン(統治法典第1章1条)、ルクセンブルク(第32条)、スペイン(第1条2項))。他の7ヶ国には、国民主権規定など存在しないのである(ノルウェー、ニュージーランド、デンマーク、カナダ、オーストラリア、オランダ、イギリス)。にもかかわらず、たとえばノルウェーなどは、長らく民主主義指数トップの座を保ち続けている。国民主権規定などなくとも、民主政治にはなんら支障をきたさないのである。

そして7ヶ国のなかにイギリスが含まれている。

イギリスにはそもそも一つにまとめられた「憲法」という名前の法典自体が存在しないのだが、イギリスは一般的に「議会主権」といわれている。俗に「議会は、男を女に、女を男にする以外は何でもできる」といわれるほど万能の権限を有する、まさに「主権者」と呼ぶにふさわしい存在なのだが、この場合の「議会」とは、貴族院と庶民院の両院に加えて、女王(国王)も「議会」を構成するものとされている。この女王(国王)・貴族院・庶民院の三者で構成される「議会における女王(国王)」(Queen(King) in Parliament)に主権があるとされているのである。つまり議会を構成する女王(国王)が主権の一端を担っているのだが、そのことはイギリスが「完全な民主主義」であることを何ら妨げるものではないのである。英国女王を元首とする他の英連邦諸国(ニュージーランド、カナダ、オーストラリア)もこれに準ずるとするならば、10ヶ国中少なくとも4ヶ国は、国民主権ではない「完全な民主主義」の国ということになる。

一方、民主主義指数最下位の北朝鮮の憲法(第4条)には「朝鮮民主主義人民共和国の主権は、労働者、農民、勤労インテリ及びすべての勤労人民にある」と規定されているが、その実態は周知のとおりである。

つまり、国民主権であろうとなかろうと、国民主権を憲法で明記しようがしまいが、民主政治には何ら関わりのないことなのである。


◆国民主権は革命の産物◆


こんにち用いられている意味での主権という概念は、16世紀後半、フランスの法学者、ジャン・ボダンによって確立された。

当時のフランスは内戦のさなかにあって、国内の封建領主は分裂して相争い、ローマ法王も外部からこれに介入するなど混乱を極めていた。これを収拾して国王を中心に国を一つにまとめるべく、「君主は、他者を統率するために、神からその代理人に任じられている」(3) とする王権神授説をもとに、フランス国王の国政に関する権力が、他の封建領主を従わせることのできる国内最高のものであり、しかもローマ法王さえも外部から口出しすることのできない対外的に独立したものである、ということを理論づけた。その権力が主権である。つまり主権とは、排他的な専制を正当化するために作られた原理といえよう。

ただしそれは元来、主権者たる国王が神の代理人であるがゆえに「神以外の何者からも法を受理しない」(4) 、つまり神の意志には従わなければならず、神の意志にかなった善政を行わなければならないという義務を伴うものであった。

こうして確立された主権概念は欧州各地に広まり、王権の絶対性を根拠づけるものとなったが、その過程で神の意志に従うべき義務という側面は徐々に薄れていった。

その絶対王政を打ち倒し、国民が主権を簒奪したのがフランス革命である。このとき発せられたフランス人権宣言(第3条)に国民主権が謳われたのだが、この時点では神の意志に従うべき義務など忘れ去られ、「いかなる仕方で臨もうとも、国民が望みさえすれば十分である。どんな形式でもよい。その意思は、常に最高の法律である」(5) つまり国民の望むことなら、なんでもかんでもやりたい放題という、もっぱら専制を正当化するだけの原理となっていた。

そうした国民主権原理のもと、「国民の代表者」の名を借りた革命家によって、国王をはじめ数多くの貴族や聖職者が処刑され、革命勢力に抵抗した数十万もの人々が虐殺された。

国民主権とは、そんな危険性を孕んだ原理であることをけっして看過すべきではなかろう。一神教の「神の意志」などとは全く無縁のわが国であればこそなおさらである。

君主国でありながら国民主権を謳う憲法を最初に制定したベルギーもまた、ナポレオン戦争後オランダの一部とされていたベルギーの人々がその支配に抵抗し、革命を起こして独立を果たした国である。その際国民会議で、ベルギーを君主制にするか共和制にするかの投票がおこなわれ、174対13の圧倒的多数で君主制が承認された。(6) 革命で君主制を廃したフランスが周囲の君主国から警戒され攻撃を受けたのと同じ轍を踏まないよう、形の上では君主制を採ったのであろう。

つまり「主権者となった国民が、国王を王位に就けてやったのだぞ。その恩を忘れるなよ」という意思を、国民主権と君主制とが同居しているベルギー憲法から読み取ることができるのである。

そのような歴史のある国であれば、国民主権は国の成り立ちを物語る重要な規定といえよう。

しかし、そうした国々とは異なり、わが国は革命によって他国から独立したのでもなければ、投票で君主制を選択したのでもない。まして、国民が革命を起こし天皇をギロチンにかけて主権を簒奪したなどというとんでもない歴史も存在しない。

わが国には、国民主権を規定しなければならないような歴史的背景など存在しないのである。


◆現憲法に国民主権が盛り込まれた経緯◆


そんなわが国の憲法に、なぜ国民主権が規定されることになったのか。

周知のとおり、現憲法の原案はGHQの手によって作られたものである。その第1条は「皇帝は国家の象徴であり、また人民の統一の象徴である。彼はその地位を人民の主権意思より受け、他のいかなる源泉からもこれを受けない。」(外務省訳・原文は文語体)と規定されていた。

しかしこれをもとに作られた日本政府の草案では、「主権」という言葉を避け、帝国議会に上程された時点では「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、日本国民の至高の総意に基く。」となっていた。これに対し、当初はGHQからも特にクレームはなく、国内の各政党も「人民主権」を主張する共産党以外はおおむね納得していた。社会党さえも、その憲法改正要綱では「主権は国家(天皇を含む国民協同体)に在り」としており、国民主権など主張していなかったのである。

ところが、衆議院本会議での各党代表による質疑応答も終わった後、GHQ側の憲法問題に関する中心人物、GHQ民政局員ケーディスから憲法問題担当大臣の金森徳次郎に対し、次のような示唆があった。

自分は未だに主権の問題に頭を悩ましている。ホイットニー局長も同感であると述べたが、もし日本国憲法に主権在民が明記されなければ、ソ連、欧州あたりから、ケチをつけてくることは確実であると考える。前回の会談で貴大臣は、問題にしているのは共産党議員のみであると言われたが、まさにその事実こそソ連がこの点を問題にしていることを裏付けるものであろう。(7)

これに対し、あくまでも「至高」のままでよいと主張する金森が辞職まで言明して抵抗するのをなだめすかすようにしてようやく納得させ、自由党と進歩党の共同提案という形で国民主権が盛り込まれることになったのである。

そうしたケーディスの示唆の背景には、極東委員会の動きがあったものとみられる。極東委員会とは、米英中ソほか計11ヶ国(後に13ヶ国)によって構成される、形の上ではGHQ以上の権限を有していた対日占領政策決定機関である。衆議院本会議での集中審議の後、極東委員会が「日本の新憲法に対する基本原則」を決定した。新憲法に盛り込むべき内容を列挙したものなのだが、その中に「主権が人民にあることを認めるべきである。」と記されていたのである。

GHQは天皇を存続させる方針だったのに対し、極東委員会ではソ連を中心に「天皇制廃止」を求める意見が根強かった。そのため、これを呑まなければ極東委員会に干渉の口実を与えることとなり、天皇の存続すら危うくなると考えたケーディスが、このような示唆をしたものと考えられる。つまりGHQの意思というよりも、むしろそれ以上に、ソ連を中心とした国々の意向をにらんで盛り込まれたものといえよう。

こうした制定過程をみれば、国民主権は、憲法制定当時には緊急避難的に必要な規定だったといえるかもしれない。しかしそのことは、未来永劫これを堅持しなければならない理由とはならない。

国民主権が革命と親和性の高いものであり、制定過程でも「天皇制廃止」を求める勢力の意向が強く働いていたことをふまえれば、本来わが国の憲法には存在してはならない規定というべきであろう。

そして、国民主権などわざわざ明記しなくとも、民主政治にはなんら支障をきたさないことは前述のとおりである。

存在すべきではなく、存在する必要もない国民主権を、それでもなおあえて堅持すべき理由などあるのだろうか。

「天皇制廃止」を目指す共産党がその布石として国民主権にこだわるのなら話も分かるが、自民党がその憲法改正草案に国民主権を残置しているのはきわめて遺憾である。いやしくも皇室の安泰を願うのならば、その存在を容認すべきではないのである。

わが国にふさわしい憲法を作ろうというのであれば、国民主権は断固削除すべきである。


基本的人権


◆大日本帝国憲法の「臣民の権利」についての謬説を駁す◆


現憲法における人権規定について論述するに先立ち、これと比較対照されることの多い大日本帝国憲法(以下、帝国憲法)における「臣民の権利」がいかなるものであったのか、一般に流布されている誤ったイメージを払拭しつつ概観したい。

たとえば、中学校の教科書では、帝国憲法における権利保障についてこう記述されている。

国民は臣民とよばれ、さまざまな権利が保障されたものの、それらは治安と秩序の維持をさまたげない、臣民としての義務に反しない、法律の定める範囲内など、さまざまな制約があった。(8)

このように、帝国憲法における権利保障がきわめて制限的だったかのように印象づける記述が、この教科書のみならず他の教科書にも多く見られる。

なぜこのように帝国憲法の権利保障が制限的だったかのように記述されているのか。帝国憲法と現憲法、たとえば表現の自由に関する条文を見比べればその理由が分かる。

【帝国憲法 第29条】
日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス

【現憲法 第21条】
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

帝国憲法の権利規定の多くには、傍点のように「法律ノ範囲内ニ於テ」といった文言が付されていた。一方、現憲法にはそうした文言は付されていない。このように、自由や権利を法律の範囲内においてのみ保障するという制限のことを、法律用語で「法律の留保」というのだが、この「法律の留保」の文言の有無の差を捉えて、帝国憲法では現憲法に比べて権利保障がきわめて制限的だったかのように記述されているのである。

しかしながら、上記の教科書に書かれているような制約はごく当たり前のことであろう。

現憲法下でも、たとえば信教の自由は保障されても、オウム真理教のように教義に基づいてテロを起こし人を殺傷するなど当然認められるものではない。イスラム教では一夫多妻が認められているが、わが国ではそれは重婚罪にあたる。表現の自由は保障されても、諸外国に対する怒りをその国旗を燃やすことで表現すれば外国国章損壊罪という犯罪となる。さらに、平成28(2016)年に成立したいわゆる「ヘイトスピーチ対策法」など、まさに法律による表現の自由の制限そのものである。

むろん必要以上に不当に制限することなど許されるものではないが、権利が法律によって一定程度の制約を受け、その範囲内においてのみ保障されるなど、至極当然のことなのである。

ならば、そもそもなぜ、帝国憲法では「法律の留保」が付されていたのに対し、現憲法では「法律の留保」が付されていないのか。

憲法学の権威として名高い『芦部憲法』にはこう解説されている。

(帝国憲法でも)権利・自由は保障されてはいたものの、それは人間が生まれながらにもっている生来の自然権(人権)を確認するという形のものではなく、天皇が臣民に恩恵として与えたもの(臣民権)であった。各権利が「法律の留保」をともなうもの、すなわち、「法律の範囲内において」保障されたにすぎず法律によれば制限が可能なもの、であったのは、そのためである。(9)

帝国憲法で保障されていた権利は、天皇の恩恵で与えられたにすぎない「臣民権」だったから「法律の留保」が認められていた、逆にいえば、現憲法で保障されているのは、人が生来保有している「人権」だから「法律の留保」が認められていない、というのである。

この見解が憲法学の世界では通説的見解となっており、それが先に見た教科書の記述にも反映されているのだが、しかし現在でも権利がけっして無制限ではなく、法律による制限を受けているのは上記のとおりである。

そもそも、「法律の留保」は帝国憲法特有のものではない。世界人権宣言や国際人権規約、世界各国の憲法を見てみれば、「法律の留保」などいくらでも存在する。

【世界人権宣言 第29条2項】
すべて人は、自己の権利及び自由を行使するに当っては、他人の権利及び自由の正当な承認及び尊重を保障すること並びに民主的社会における道徳、公の秩序及び一般の福祉の正当な要求を満たすことをもっぱら目的として法律によって定められた制限にのみ服する。

【国際人権規約(B規約) 第19条3項】
(表現の自由に関する)権利の行使には、特別の義務及び責任を伴う。したがって、この権利の行使については、一定の制限を課すことができる。ただし、その制限は、法律によって定められ、かつ、次の目的のために必要とされるものに限る。
(1)他の者の権利又は信用の尊重
(2)国の安全、公の秩序又は公衆の健康若しくは道徳の保護

【フランス人権宣言 第4条】
自由は、他人を害しないすべてのことをなしうることに存する。したがって各人の自然権の行使は、社会の他の構成員にこれらと同一の権利の共有を確保すること以外の限界を持たない。これらの限界は、法律によらなければ定めることができない。

【ドイツ基本法 第5条2項】
(表現の自由に関する)権利は、一般の法律の規定、少年保護のための法律上の規定及び個人的名誉権によって、制限される。

【スイス憲法 第36条】
基本権の制限には、法律の根拠を必要とする。重大な制限については、法律自身で定めなければならない。重大かつ急迫の危険であって、他の方法では回避することができないものの場合は、例外とする。

【カナダ憲法 第1条】
カナダの権利と自由の章典は、自由で民主的な社会において明確に正当化できる、法律によって定められた合理的制限の枠内において、同章典に列挙された権利および自由を保障する。

紙面の都合上以上にとどめるが、こうして見れば「法律の留保」はむしろ「グローバルスタンダード」といえよう。帝国憲法が特に制限的だったわけではないのである。

ただ、アメリカはその例外で、英国議会の制定する法律に反発して独立した歴史的経緯から、伝統的に立法府(議会)に対する不信感が根強く、宗教的行為の自由や言論出版の自由などを法律で制限してはならないと憲法上明記されている(修正第1条)。

現憲法は、そのアメリカ人が原案を起草したから「法律の留保」が付されていない、ただそれだけのことであって、けっして人権が保障されている国々の憲法に普遍的なことではないのである。憲法学の権威が、まさかその程度のことを知らなかったわけではあるまい。帝国憲法を貶めて現憲法を賛美するため、意図的に真理を歪め、国民をミスリードしているのであろう。

「法律の留保」を「臣民権」であるがゆえのものと因果関連づけ、それを捉えて帝国憲法の権利保障がきわめて制限的だったかのように印象づける『芦部憲法』の記述は、全くトンチンカンなものなのである。

なお、こうした主張に対しては、帝国憲法に臣民の義務として兵役の義務が規定され、その下で徴兵制が敷かれ、とりわけ先の大戦で多くの方々が兵士として徴用され散華したことをとらえて「権利が軽んじられていた」とする反論も予想されるが、論旨からは外れるので、ここでは次のことを指摘するにとどめておく。

第二次世界大戦当時はもとより、軍のハイテク化に伴って徴兵制が廃止される傾向にあるこんにちもなお、前述の「民主主義指数」上位19ヶ国に限ってみても、5ヶ国では徴兵制が実施され(ノルウェー、デンマーク、スイス、フィンランド、オーストリア)、スウェーデンでは近年のロシアの軍事動向をにらみ、2018年から徴兵制が復活される。

そもそも、近代国家で初めて国民皆兵による徴兵制が敷かれたのは、人権を標榜するフランス革命期のフランスである。徴兵制は「国民国家」であるがゆえのものであって、臣民の権利であったがゆえのものとする主張があるとするならば、それは見当違いである。


◆わが国の伝統文化に根差していた帝国憲法の臣民の権利◆


前掲の引用文からも分かるとおり、『芦部憲法』では、「臣民の権利」は「人権」に比べて劣ったものであるかのように記述されているが、これは全く的外れな評価である。

たとえば、1689年にイギリスで制定された「権利の章典」は、人権思想史のなかでも重要な位置を占めるものであるが、その正式名称を「臣民の権利と自由を宣言し、かつ王位の継承を定める法律」(An Act Declaring the Rights and Liberties of the Subject and Settling the Succession of the Crown)という。この権利の章典は過去のものではなく、現在もなお「マグナ・カルタ」や「権利の請願」などと並ぶイギリスの「不文憲法」を構成する重要な法源の一つである。つまり、イギリス国民に保障されているのは人権(human rights)ではなく臣民(the Subject)の権利なのだが、それを理由としてイギリスにおける権利保障が他国に比べて劣っているとする評価など寡聞にして聞いたことがない。「民主主義指数」の調査項目の一つ、「市民の自由」(Civil Liberties)のポイントでも、イギリスはわが国を上回っている(イギリス=9.12、日本=8.82)。

イギリスでは、自由や権利は、「天賦人権」ではなく、祖先から受け継がれてきた「相続財産」と考えられている。たとえば権利の請願の一節「陛下の臣民は、議会の一般的承諾に基づいて定められたのでないかぎり、税金、賦課金、援助金、その他同種の負担の支払いを強制されることはない、という自由をうけついでいるのである。」との文言にそうした思想が垣間見られる。

いまのウィンザー朝に至るイギリス王室の起源は、1066年、フランス北部のノルマン人がイングランド島に侵攻して打ち立てたノルマン朝に遡る。イギリス原住のアングロサクソンではないのである。この外来の国王が横暴にふるまった際に、アングロサクソンの貴族が結集して国王に詰め寄り、イングランド古来の慣習にもとづく権利を認めさせたのがマグナ・カルタである。そして権利の請願もマグナ・カルタをはじめとする古来の法や慣習に基づく権利を国王に認めさせたものであり、権利の章典も、「古来からの権利と自由を擁護し、主張するため」(権利の章典の一節)のものである。国王が古来の法に違背するたびに古来の権利を国王に認めさせ、それと引き換えに国王に対して忠誠を誓うという均衡の中で、臣民の権利は、王室の安泰と不離一体のものとして確固たるものとなっていったのである。そして時代とともに元来貴族のものであった権利は次第に民衆へと広まっていった。臣民の権利は、そうした歴史の中で権利を確立してきた祖先からの「相続財産」なのである。

こうして現実の歴史の中で権利を確立してきたイギリスにあっては「人は生まれながらに侵すことのできない権利を天から与えられている……ということにしよう」などというフィクションなどわざわざ持ち込む必要はないのである。人権という「架空の権利」など、臣民の権利という「相続財産」に比べれば、なんら価値のないものといえよう。

では、帝国憲法における臣民の権利はどのようなものだったのか。

帝国憲法の上諭(天皇が裁可したことを示すために付される公布文)に次の一節がある。

朕ハ我カ臣民ノ権利及財産ノ安全ヲ貴重シ及之ヲ保護シ此ノ憲法及法律ノ範囲内ニ於テ其ノ享有ヲ完全ナラシムヘキコトヲ宣言ス
(朕はわが臣民の権利および財産の安全を貴び重んじ、これを保護し、この憲法および法律の範囲内において完全に享有することができるよう宣言する。)

つまり、臣民が生来の権利を有していることを前提として、これを尊重し保護することを宣言したものといえよう。「天皇が臣民に恩恵として与えた」とする『芦部憲法』の記述のようなニュアンスなど微塵も感じられない。この記述もやはり、帝国憲法を貶めるための『芦部憲法』の悪質なデマなのである。

むろん権利という概念が昔からわが国に存在したわけではない。近代になって西洋から伝わったものであることは紛うことなき歴史的事実ではあるが、それよりもずっと以前から、わが国には古来、天皇は民衆を「おおみたから」として尊重する伝統があった。

神武天皇が橿原に都を開かれた際に発せられた「建国の詔」の一節にもこうある。

苟くも民に利有らば、何ぞ聖の造に妨はむ。且当に山林を披き払ひ、宮室を経営りて、恭みて宝位に臨みて、元元を鎮むべし。
(いやしくもたみにかがあらば、なんぞひじりのわざにたがわん。まさにやまはやしをひらきはらい、おおみやをおさめつくりて、つつしみてたかみくらにのぞみて、おおみたからをしづむべし。)

【およそ民衆のためになることならば、なぜ聖人の行いとして誤ってなどいようか。いまこそ山林を切り開き宮室を造営し、謹んで皇位に就き、国の宝である民衆を安んじよう。】

日本という国が誕生した当初から、天皇は民衆を大切にすることを誓われたのである。そして歴代、この意志が受け継がれてきた。

民衆の家々から炊煙の上がっていないのをご覧になった仁徳天皇が民衆の困窮を懸念され、6年間にわたって租税や労役を免除し、御自身雨漏りのする宮殿に住まわれた話などよく知られている。また戦国時代の天皇は、即位の礼や大喪の礼もままならないほど困窮を極めたが、そんな中でも、疫病が起これば諸寺に般若心経をお納めになるなど、常に民生の安寧を祈念された。

そして近代に至り、権利という舶来の新しい概念を導入するにあたって、そうした伝統のなかに権利の淵源を見出し、民衆の権利を尊重することが上諭で宣言されたのである。

伊藤博文による憲法の逐条解説書『憲法義解』にもこうある。

思うに、天皇は臣民を国の宝として愛重し、臣民は大君に服従し自らを幸福な臣民だと思う。これはわが国の故事や旧習にあるものであって、本章に掲げる臣民の権利義務もまた、そうした故事・旧習に源流を有するものにほかならない。(10)(原文は文語体)

つまり、来歴こそ異なるものの、イギリスにおける臣民の権利と同様わが国の歴史と伝統文化に根差した権利といえよう。

なぜそれをあえて捨てて、わざわざわが国とは縁もゆかりもない西洋の思想家の頭の中で発明された人権なる架空の権利にすがる必要などあるのだろうか。天皇は民衆を慈愛し、民衆は天皇をお助けするという、君民互恵の穏やかな伝統文化に根差した帝国憲法における臣民の権利が、国王ルイ16世や王妃マリー・アントワネットをギロチンにかけて狂喜乱舞した暴徒を突き動かした人権なるドグマに比べて、どこがどう劣っているというのであろうか。

そもそも憲法というものは、ただ美辞麗句を並べて立派な文章を書けばいいというものではなく、その国の国情をふまえたものでなければ、それは木に竹を接ぐようなもの、砂上に楼閣を築くようなもので、その国の憲法として定着するのは難しいものである。

たとえば、わが国より一足早く1876年にアジア最初の近代憲法として制定されたオスマン帝国憲法は、わずか一年あまりで停止されている。

その原因の一つに、「すべての帝国臣民はオスマン人と称され、信教によって差別されることはない。」(第8条)という規定がある。いまの我々の感覚からすれば至極まっとうな規定だが、これがイスラムの伝統に反するとして反発を受けたのである。

オスマンはムスリム(イスラム教徒)を中心とした国ではあったが、異教徒も人頭税などの義務を果たすことで信教の自由が保護されており、「不平等」を前提に長らく穏やかに共存する多民族・多宗教国家であった。しかし19世紀以降、キリスト教諸国からの圧力を受けて、人頭税廃止などの「平等化」が徐々に進められていたのだが、それとともに、ムスリムと非ムスリムとの間に軋轢が生じていた。ムスリムの視点からは、「平等化」は「非ムスリムへの特権付与」にほかならなかったのである。そんな中、憲法に平等を明記したことで不満が爆発したのである。

さらにスルタン(君主)もまた、議会によって権力が制限されるのを苦々しく思っていたことから、結局、非常事態(露土戦争)を口実に、憲法の停止を命じ、開設されたばかりの議会は閉鎖され、憲法制定の中心人物であったミドハト・パシャは「危険人物」として国外追放された挙げ句、殺害された。

明治期のわが国以上に切迫した状況にあって性急なのもやむを得なかったのだが、それまでの伝統文化になかった新しい制度や概念を取り入れる際、あまりに性急に過ぎれば、このように拒絶反応を惹き起こして憲法が機能不全に陥り、最悪の場合、母体である国家そのものを損ねてしまうことにもなりかねないのである。

そうしたオスマン帝国憲法の?末も念頭にあったのであろうわが国の帝国憲法の起草者が、「権利」や「立憲体制」といった西洋生まれの概念や政治体制をストレートに導入するのではなく、日本の国情を考慮しつつアレンジして導入し定着させた業績は賞賛に値するものなのである。かつて日本古来の神道を保持しつつ外来の仏教をも受け入れた神仏習合の叡智が、ここでも発揮されたといえるのかもしれない。

そうした事情を熟知する識者は、帝国憲法を高く評価している。

【ハーバード・スペンサー(イギリス・社会学者)】
日本の憲法は、日本古来の歴史習慣をもとに、漸進保守の立場で起草されたとか。それならば、この憲法は私の最も賛成するところである。(11)(原文は文語体)

【オリバー・ウェンデル・ホームズ(アメリカ・後に連邦最高裁判事)】
この憲法について私が最も評価しているのは、日本の憲法の根本を日本古来の歴史、制度、習慣を基にして、その上で、欧米の憲法学の論理を適用してこれを修飾している点である。(12)(原文は文語体)

【ローレンツ・フォン・シュタイン(ドイツ・法学者)】
特に憲法発布の告文と勅語とを憲法の一部分として発表されたのは実に妙案である。なぜなら、このことで、皇室と臣民との関係が緊密であることが疑う余地のない事実であること、そして陛下の真摯なる御決断をもって憲法を恵贈された御心とが明らかとなり、末永い君民の穏和を確固たるものとするのに足るものであるのみならず、告文と勅語の存在することそれ自体によって、この憲法というものが日本のために大切なものなのだという感情を喚起させられるからである。(13)(原文は文語体)

「明治憲法は、立憲主義憲法とは言うものの、神権主義的な君主制の色彩がきわめて強い憲法であった」(14) などと、字面のみをとらえて西洋諸国の憲法との差異をあげつらい揶揄する『芦部憲法』のごとき評価は、あまりにも浅薄皮相なものなのである。

世界には、多様な宗教があり、多様な歴史があり、その中で育まれた多様な伝統文化があり、それに慣れ親しんで生きる多様な人々がいる。権利というものが人を幸せにするためにあるのであれば、権利のありようもまたそれに応じて多様であってしかるべきなのである。

にもかかわらず、西洋というごく限られた地域、しかも革命期というごく限られた時代の中で生みだされた人権のみを唯一絶対のものとして神聖視し、この「異物」を他に強引に押し付けるような姿勢は、そうした多様性を蹂躙する蛮行にほかならない。「民主制は最高の政治制度」と盲信してフセイン大統領を殺害し民主制を押し付けたイラクがこんにちの惨状になってしまったのと同様、そうした「人権原理主義」もまた、人々の間に軋轢を生ぜしめ、ついには不幸にさえしかねないのである。

「ヤハウェの恩寵」による権利もあれば、「アラーの慈悲」による権利もあれば、「悉有仏性」による権利もあってしかるべきなのである。イギリスはイギリスの歴史に根差した独自の権利を確立してきた。わが国もまた、わが国の伝統文化に根差した独自の権利を確立し、権利という新しい概念をわが国に根付かせようと努めた。帝国憲法における臣民の権利とは、そうしたものだったのである。


◆現憲法の人権規定◆

以上をふまえて、改めて現憲法の人権規定を見てみたい。

まず、第11条にこうある。

この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

誰から「与へられる」のであろうか。これが一神教の国の憲法ならば、暗黙の了解として「神」に与えられたものということになろう。であれば、そこには神に与えられた規範に従うべき責任が伴い、節度ある権利行使が担保されることとなる。実際一神教の国々の中には、「神の創造に対する責任を自覚し」(スイス憲法前文)、「神と人間とに対する責任を自覚し」(ドイツ憲法前文)、「われらの主イエス・キリストに対するわれらの義務を謙虚に認識し」(アイルランド憲法前文)など、神に対する義務や責任を憲法上明記する国もある。

しかし、わが国は一神教文化の国ではない。「天賦人権」というが「天」とは何者なのか。なぜ人は人であるがゆえに尊重され、生まれながらに権利を有しているのか。「天賦人権」を大事なものだと主張する人々は、明快に答えられるのだろうか。

このようなわが国に似つかわしくない規定のために、「誰がくれたのかは知らないけど、もらったものは使わなきゃ損」とばかり、浅ましい乞食根性で、何者にも責任を負うことなく、わがままを「人権」のベールに包んで声高に金切り声を張り上げた者勝ちという、剣を権利に持ち替えた「万人の万人に対する闘争」が繰り広げられつつあるのではないのだろうか。

また、第97条にはこうある。

この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

第11条と同様、ここでも誰から信託されたのかが書かれていない。当初GHQから提示された草案では「神聖なる委託」(sacred trust)となっていたのを、キリスト教的な色彩を取り除いたために、このような意味不明な条文になってしまったのである。

第一、自由獲得のため戦った歴史のないわが国に、なぜ革命を彷彿とさせるこのような規定など必要なのだろうか。「諸外国の先人の努力のおかげで、私たち日本国民は権利を享受することができます」という奇妙な劣等感を植え付ける以外、どのような存在意義があるのだろうか。

しかも、同条は第11条とそっくりの規定である。内容の重複する条文が盛り込まれたのには、制定時の次のような事情がある。

もともとGHQから提示された草案(第10条)は、次のようなものであった。

この憲法により日本国の人民に保障される基本的人権は、人類の自由を求める積年の闘争の結果である。時と経験の坩堝の中で永続性に対する厳酷な試練に耐え抜いたものであって、永久に不可侵のものとして、現在及び将来の人民に神聖なる委託をもって賦与されたものである。(外務省訳・原文は文語体)

しかし、わが国には法文は簡潔をもって良しとする風潮があったので、GHQ草案をもとに作成した政府案では、この冗長な文章を大幅にカットし要約して他の条文に入れていた。現憲法の第11条となっている条文である。ところがGHQ民政局のケーディスから、この条文は民政局長のホイットニーが自ら筆を執ったご自慢のものなのでなんとか入れてもらえないかと懇願されたため、結局、「国民の権利及び義務」を定めた第3章とは場所を変えて、「最高法規」を定めた第10章に入れられることになった。(15)

つまり第97条は、GHQの上司のご機嫌取りのために盛り込まれた条文なのである。そう考えると、同条もまた、現憲法がGHQの意思で作られた「押しつけ憲法」であることを象徴する条文ともいえよう。

しかし、そうした裏事情を明かすわけにもいかないので、『芦部憲法』では次のようなもっともらしい「言い訳」がなされている。

憲法が最高法規であるのは、その内容が、人間の権利・自由をあらゆる国家権力から不可侵のものとして保障する規範を中心として構成されているからである。これは、「自由の基本法」であることが憲法の最高法規性の実質的根拠であること、この「実質的最高法規性」は、形式的最高法規性の基礎をなし、憲法の最高法規性を真に支えるものであること、を意味する。日本国憲法第十章「最高法規」の冒頭にあって、基本的人権が永久不可侵であることを宣言する九七条は、硬性憲法の建前(九六条)、およびそこから当然に派生する憲法の形式的最高法規性(九八条)の実質的な根拠を明らかにした規定である。(16)

この「言い訳」を真に受けたのであろう、民進党(当時)の細野豪志衆議院議員が、国会審議の中でこの条文に触れて、「憲法97条、御存じだと思うんですが、この条文を自民党の改憲草案は削除しているんですね。」「97条というのは実は結構思い入れのある条文なんですよ。」「最高法規の中にこの人権規定が入っていることは非常に重いと私は考えてきた。」(17) などと熱く語ったが、制定過程を知った上でこの熱い思いを聞けば、もはや滑稽を通り越して、『芦部憲法』にまんまと洗脳され操られるマリオネットの悲哀すら覚える。


◆憲法改正私案◆

ただ、私見としては、第97条で用いられている「信託」という言葉自体はけっして悪いものではないと考えている。

僭越ながら、憲法改正案を一つ提案させていただけるとするならば、第11条と第97条を統合して、次のように改正することを提案したい。

この憲法が国民に保障する権利は、われらの祖先並びに子孫より信託されたものである。

実のところ、フランス革命期のイギリスの政治家、エドマンド・バーク著『フランス革命についての省察』に着想を得たのだが、我々日本人の感覚からしても、「天のわれらに与え給うた権利」よりも「ご先祖様が私たちに下さった権利」のほうが、身近で馴染みやすく、温かみがあり、それゆえ権利の大切さや節度をもって行使すべき責任もより実感しやすいのではないだろうか。

「ご先祖様のおかげで、私たちはこの世に生を享けることができた。そして私たちがよりよい生活を送れるよう、命と一緒に権利も授けて下さった。しかしそれは、けっして私たちの放蕩のためではなく、後に続く子々孫々のこともしっかり考えて大事に扱わなければならない」と思えば、おのずと背筋も伸びる思いがする。

自民党の憲法改正草案は「天賦人権説に基づく規定振りを全面的に見直しました」(18) というものの、結局のところ、若干残っているキリスト教的色彩の残滓(前述の「与へられる」など)を取り除いただけの「無宗教の天賦人権」でしかない。わが国にふさわしい憲法にしようというのであれば、そうしたわが国の宗教観も考慮すべきではなかろうか。

そもそも、憲法上立派な権利規定を掲げる国は多々あるが、たとえば中国憲法(第36条)に謳われている信教の自由は保護されず、北朝鮮憲法(第67条)に謳われている言論の自由は保護されていない。紛争の絶えない中東やアフリカの無政府地域など、なおさらである。憲法がただの飾りでしかない国が数多く存在しているのが実情である。

憲法は国家統治の基本法といわれるが、憲法さえ制定すればその憲法の思い描くとおりの立派な国が自動的に出来上がるわけではない。そして、その中に権利規定を書き込みさえすれば、自動的にその国の国民の権利が保護されるようになるわけでもない。

いま我々日本国民が権利を主張することができ、それが現実に保護されているのは、人権などという、たかがイデオロギーの成果ではない。日本という平和で豊かな安定した立憲国家があればこそ、我々は権利を現実のものとして享受できるのであり、それはすなわち、悠遠なる太古よりわが国に君臨し、国家の安泰と民生の安寧とを日々祈り続けてきた歴代天皇をいわば「心柱」として、幾多の試練に直面しながらもこれを乗り越え、こんにちの日本を築き上げてきた、我々日本国民の先人の労苦の賜物なのである。

『芦部憲法』に代表される左翼系の憲法学では、国家を悪玉とみなし、自由を守るためには国家権力を縛ることが大事だということばかりが繰り返し強調される。革命の時代に発明された人権を中心に据え、これに辻褄を合わせるように憲法体系を構築しているがゆえであろうが、しかしそれは、いうなれば、親に保護されていることも知らずに、口うるさい親をやっつければ自由になれると勘違いしている、反抗期の子供のごとき幼稚な国家観である。

先人が営々と守り育ててくれた日本という国に保護されて、いま我々は権利を享受することができるのである。そしていま生きる我々もまた、日本をよりよい国にして、後裔へと引き渡すべき責務をけっして忘れるべきではなかろう。

そうした祖先に対する感謝と、子孫に対する責務とを思い起こさせるよすがとして、そして、わが国の宗教観、歴史、伝統文化、和を貴ぶ国民性、いずれからも乖離した、君民敵対する血塗られた憎悪の時代の寵児たる「天賦人権」に対するアンチテーゼとして、上記憲法改正私案を提案するものである。

以上



(1) 東京書籍 中学公民 40頁
(2) https://en.wikipedia.org/wiki/Democracy_Index#Democracy_Index_by_ country_.282016.29
(3) ジャン・ボダン『国家論』(フランス・ルネサンス文学集1)177頁参照
(4) ジャン・ボダン 185頁
(5) シェイエス『第三身分とは何か』109頁
(6) 西修『各国憲法の制定年(〜一九四〇年代)と改正の実際』2頁
(7) 西修『ドキュメント日本国憲法』303頁
(8) 清水書院 中学公民 30頁
(9) 芦部信喜『憲法(第六版)』19〜20頁
(10)伊藤博文『憲法義解』36頁
(11)八木秀次『明治憲法の思想』243〜244頁
(12)伊藤哲夫『明治憲法の真実』179頁
(13)伊藤哲夫 178〜179頁
(14)芦部信喜 18頁
(15)西修『ドキュメント日本国憲法』236〜237頁参照
(16)芦部信喜 12頁
(17)http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001819220160930002.htm
(18)自由民主党『日本国憲法改正草案Q&A(増補版)』3頁

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