大東亜聖戦大碑


大東亜聖戦大碑は、北陸金沢の名勝・兼六園に隣接する石川護国神社に建てられた、高さ12mに及ぶ石碑です。

終戦後わが国を占領したアメリカは、日本が二度とアメリカに刃向うことのないよう日本国民を骨抜きにするため、さきの大戦をわが国によるアジア侵略戦争であると位置づけ、マスコミや教育を通じて国民に贖罪意識を植え付けて、日本人の心を支配していきました。

さらに「青年に対し、祖国の前途に対する希望の灯を奪い、祖国呪詛の精神を腐食することが革命への近道である」(マルクス)との思惑から、日教組をはじめとする社会主義勢力・共産主義勢力がこれを引き継ぎ、国民の洗脳活動をいっそう推し進めました。

その結果、平成5年の河野談話、平成7年の村山談話に代表される、英霊冒涜、歴史無知の安直にして偽善的な謝罪反省機運が高まり、以後歴代首相が就任するたびに「村山談話を継承する」などと謝罪・反省するに至りました。
   




  そうした機運に怒り心頭に発した当日本をまもる会会長中田清康が、反撃の拠点として建立を決意し、奇しくもこの時期に出会った草地貞吾・元関東軍主席参謀はじめ全国有志の協力を得て、平成12年8月4日、国内外から2000余名が集う盛大な大東亜聖戦大碑完成式典が執り行われるに至りました。

その後、大東亜聖戦大碑護持会が結成され、毎年原則として8月4日に大東亜聖戦祭が斉行されています。

正義のため、国のため、東洋平和のため、貴い命を捧げられた御英霊はじめ身命を賭して戦った全国民に感謝の念を捧げ、子々孫々万世にわたりわが国の正義と真実の歴史を伝える貴重な大碑です。

金沢城、兼六園へ観光にお越しの折、ちょっと足を延ばしてお気軽にお立ち寄りください。
大碑の裏には「八紘爲宇」の文字が刻まれています。

八紘爲宇は
「八紘〔はっこう〕を(掩〔おお〕いて)宇〔いえ〕と為〔な〕す」 と読み下されます。
初代天皇・神武天皇が橿原に宮を建てられた際に下された「橿原宮造営の詔」の一節にある言葉です。

八紘とは天下の四方四隅、すなわち全世界を表し、宇は屋根を表します。つまり、一つ屋根の下に仲良く暮らす家族のように世界が平和であってほしい、という切なる願いが、この言葉には込められています。 
   

 
 
副碑文

日本にはかつて軍国主義も植民地支配もない
それを解放した歴史がある

輝く天命戦の真実を知れ

日本壊滅の諸謀略によりやむなく矛をとらされたが
この戦ひは幾世代もの長きに亘り
有色の民を苦しめた白禍支配を終らしめ
虐げられし民はそれぞれの祖国を取戻した
我が民族が総力をあげ戦った大東亜戦争
これこそ天命により
人種差別を撤廃せしめた聖なる戦ひであった
肇国三千年の国是・八紘為宇が果されたのである
重ねて申し上げる
かつての日本はアジアに輝く太陽の如き存在であった
この戦ひで歴史を貫く日本民族の世界史的使命が達成され
万邦共栄・八紘為宇への道が拓かれたのである
日本人よ!祖国の聖なる使命と偉業を讃へ
民族の誇りを持て!

「身を滅ぼして仁をなす
   その栄光の勲しは
      千代に八千代に薫るべし」
 
 

石川護国神社

石川県金沢市石引 4丁目18−1

兼六園シャトルバス「県立美術館・成巽閣前」下車 徒歩1分
兼六園小立野口より               徒歩1分

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